進化生物学者リチャード・ドーキンスが、科学における客観的真実の重要性について論じ、人間の感情や政治的イデオロギーが科学に侵入する危険性を警告している。歴史的なリセンコ事件から現代のトランスジェンダー問題まで、イデオロギーが科学的事実を歪曲する事例を詳細に分析し、科学的方法論の普遍性と客観性を擁護する内容である。

ローレンス・クラウスとリチャード・ドーキンスの対談
やあ、Origins Podcastへようこそや。ホストのローレンス・クラウスや。皆も知っとる通り、ワシの新著『The War on Science』がアメリカとカナダで今年の7月29日に出版されるんや。それを記念して、この本に寄稿してくれた39人の著者の多くにインタビューしたんや。7月22日から本が出版される前後の20日間にわたって、20の別々のポッドキャストインタビューを放送する予定やねん。
次の20日間でインタビューする著者は、出演順にリチャード・ドーキンス、ニール・ファーガソン、ニコラス・クリストフ、マーティン・バドリー、アビゲイル・トンプソン、ジョン・アームストロング、サリー・サテル、サル・ゴールドとジョシュア・カッツ、フランシス・ウィドウェン、キャロル・フーヴェン、ジャニス・フィンゴ、ジェフ・ホースマン、アレッサンドロ・ストルミア、ロジャー・コーエンとエイミー・ワックス、ピーター・ボジアン、ローレン・シュワルツとアーサー・ルッソ、アレックス・バーンとモディ・ゴラン、ジュディス・シサとアリス・サリバン、カーレン・グリブル、そして最後にドリアン・アボットや。
科学的真実の普遍性について
話し合われるトピックは、我々の最初のインタビュー相手であるリチャード・ドーキンスが強調する、科学における自由な発言と開かれた探究の必要性、そして科学的誠実性を維持する必要性から、学術界が過去にイデオロギーによってハイジャックされた歴史的事例とそれによる悪影響まで幅広く及ぶんや。
数学を含む特定の学問分野がどのように歪められたか、そして大学の特定の学部が今や明確に社会活動家であることを宣言し、彼らの分野での学位が特定の学問領域の学位ではなく、批判的社会正義または社会活動主義の学位であることを主張している問題まで、イデオロギーが大学に浸透した問題を論じるで。
医学の問題についても議論を進めるつもりや。サリー・サテルは社会正義が医学をハイジャックした話をするし、性別肯定治療の問題についても触れる。我々は性別肯定治療の主張が実証的証拠に基づかずに行われることが多すぎることについて語る様々な著者がおるんや。実際、若者に害をもたらすような方法で文献を偽って論じとるんや。
何らかの理由でキャンセルされた何人かの人々と話をするで。カナダのマウントロイヤル大学のフランシス・ウィットソンや、テレビで生物学において性は二元的やと言った後、最終的にハーバードを去らざるを得なくなったハーバードのキャロル・フーヴェンなんかや。
学術界におけるダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンの影響を見てきた人々と話をするで。それが自由な探究を制限し、また多くの点でそれらの大学における科学的メリットを制限しているという話やねん。
最後に、我々のシリーズの最後の寄稿者であるドリアン・アボットが、科学と政治を分離し、学術界をイデオロギーから自由に保ち、より開かれた質問と進歩のために、そして科学が実証的証拠に基づくことを確実にするために不可欠やと彼が信じる3つの原則について話すで。
ドーキンスとの本格的議論
リチャード・ドーキンス、君と会えるのはいつも素晴らしいことや。君と一緒にいるのもいつも素晴らしいで。来てくれてありがとう。ありがとうございます。君は雲の上で非常に神々しく見えるなあ、それが適切やと思うで。
このバカなバックグラウンドを今発見したんやけど、もう切り替えられへんねん。いや、素晴らしいで。気に入ってるで。本当に適切やと思うわ。君がここにいて君の章について議論してくれるだけでなく、本に章を書いてくれたことが本当に嬉しいんや。
それは本の最初の章で、本が扱ってることの多くを捉えてるし、期待通りでありケースでもあるが、美しく書かれ、叙情的や。君と一緒にそれを通していきたいし、タイトルも非常に重要やと思うんや。その作品のタイトルは「科学的真実は人間の感情と政治の上に立つ」で、これが重要なポイントやと思うし、本当に本の調子を設定してるんや。
本はイデオロギーの科学への侵入、そして学術界と社会全般、特に科学への侵入について扱ってるんや。この場合、イデオロギーが科学に影響を与えた2つの具体的な例、一つは歴史的で一つはより現代的なもんについて話してるねん。
しかし、そこに行く前に、君は科学の本質について話すことから始めてて、再び美しい叙情的な方法でやってるねん。君は科学が普遍的やとよく言うけど、それを考える時は、君がどこにいるか誰であるかに依存しないという意味やが、君が指摘するように、君がどの惑星に住んでても関係ないんや。それは地球的な意味ではなく、真の意味で普遍的なんや。
君の最初の文は「もし知的な地球外生命体が我々を訪れることがあったら、会話のためのどんな共通の基盤を見つけるやろうか?」やねん。そしてもちろん君は科学と言うてる。それは、体系的人種差別、カリキュラムの脱植民地化、文化的盗用といったよりイデオロギー的なアイデアとは対照的に、特に重要やと思うんや。それらは科学的用語ではないねん。それが重要な区別やと思うで。
君が科学について話す時、もちろん科学的方法を称賛することもできるし、君もそうしてるけど、人間の偏見から本当に重要な方法で科学的方法を取り除くすばらしい例を挙げてるねん。それが二重盲検対照試験やねん。それについて少し話してもらえるか?
二重盲検対照試験の重要性
よし。二重盲検対照試験は医学で大きな役割を果たしてるねん。誰が発明したかは分からんけど、かなり明白なことやねん。自分自身の偏見を取り除かなあかんのや。どんな科学者でも最善の意志を持ってても、おそらく実験から特定の結果が出ることを望むやろう。
薬をテストする医学実験では、コントロールに対して新薬をテストする場合、プラセボ効果が非常に重要やから、患者や医者や看護師や誰かが、どの錠剤が実験薬でどれがコントロールかについて少しでも感づいたら、結果に偏りをもたらす可能性があるんや。
そうでなくても、結果を発表する時、読者はそれが二重盲検で行われた場合にのみ、それを信頼できることを確実に知ることができるんや。いつも可能というわけではないねん。外科手術の場合、外科手術でコントロールになる可能性のためにボランティアになる人はおらんやろうからな。だからいつもできるわけではないが、できる場合には、それは主観的感情によって偏向されないことが保証された客観的科学的真実のゴールドスタンダードなんや。
君が美しく書いてるように、それは感情、主観的印象、生きた経験、そして「君の真実は私の真実と違う、そして皆の真実は等しく有効である」という有害な概念の排除を表してるねん。完全に信頼できる唯一の真実は、客観的で公的に逃れられない証拠によって支持された真実やねん。二重盲検実験はその美しい例やで。
君はさらに進んで、最近の議会で非常に普及してる異なる種類の真実、生きた経験の真実や先住民の真実について指摘してるねん。しかし君の2つの引用で私が特に気に入ってるものがあるねん。「事実に関する限り、その真偽を決定する方法は一つしかない。それは証拠を調べることや。証拠をどう評価するかを知る最良の方法は科学的方法や」。
そして最も重要なのは、社会的や文化的に導き出された真実を考える時、君は「科学の事実は、人間がそれを発見するずっと前から事実やった」と言うてるねん。我々の種が消えた後もずっと事実やねん。それは本当に重要な要因やと思うで。星が存在するために我々の解釈は必要ないねん。
そうや。人間があらゆることに関与しなければならないと仮定するのは一種の傲慢やねん。私はニュージーランドで最近これに遭遇したんやが、そこではマオリの「知る方法」を科学カリキュラムに輸入する動きがあるねん。君が先ほど言ったように、科学は普遍的や。もしマオリの知る方法が価値のあるものなら、それはニュージーランドだけでなく世界中にあるべきやねん。
代替医学との類似点
君の友人かどうかは分からんが、確実に知ってるティム・ミンチンがおるやろうが、彼がこれを言う時の素晴らしいセリフがあるねん。彼の作品の一つで「効果のある代替医学を何と呼ぶか知ってるか?医学や」という素晴らしいセリフがあるねん。
そうそう、実際に私はずっと昔にCFIのための中国でのイベントにいたことがあるねん。大きな会議があって、彼らは中医学について話し続けてたんや。私がちょっと嫌いなもう一つの名前やねん。なぜなら、彼らは同じDNA、同じATPを持ってるからな。もしそれが中医学でなく、西洋医学でもないなら、効けば医学やねん。
そうや。それが科学について重要なことやと思うねん。この場合、もちろん君が挙げる最初の例は、人間が何らかの形で科学の永遠で普遍的な真理に直面して、我々の人間の政治がより重要やと仮定する虚栄の傲慢の悲劇的な例やねん。君が挙げる最初の例は悲劇的なもので、それはリセンコやねん。
君はそれについて詳しく話してるし、実際に君の作品を読んでリセンコについてたくさん学んだで。よく知られてるように、彼は基本的にロシアで、そして後に中国で文字通り何百万人もの飢餓に責任があったんや。彼について少し話してもらえるか?彼は詐欺師やった。科学についてほとんど知らなかった。彼は固定観念を持ってて、スターリンの目に留まった。それが要点やねん。
スターリンはそれが彼のマルクス主義的偏見と一致したから気に入ったんや。そしてリセンコはソビエト農業の責任者になったんや。最終的に彼は巨大な権力を持ち、その権力を乱用した。彼はライバルを投獄したり、処刑したりさえしたんや。君が言うように、彼はロシアだけでなく中国での大量飢餓の原因やった。
私が引用する引用の主な出典は、リセンコが編集した1949年、1948年のモスクワでの会議についての本やと思うねん。そこで代表者が次々と立ち上がって、彼らがメンデル主義者・モルガン主義者・ワイスマン主義者の異端と呼んだものを非難したんや。まるで宗教的な集会のようで、すべてのスピーチがスターリン同志への熱烈な歓声で終わったんや。それは身の毛もよだつ恐ろしい文書やねん。非常に無害なタイトルが付いてるねん。「生物科学の状況」や。
そうや。本当に不吉な文書やねん。無害に聞こえるねん。「生物科学の状況」は科学文書のように聞こえるもんな。
ミチューリン主義とラマルク主義
これをもう少し注意深く分析したいねん。君が与えた要約は美しいが、私はそれを分析したいねん。なぜなら彼が何を間違えて、それがマルクス主義とどう関係してたかを正確に理解するためやねん。君がちょうど述べたメンデル主義、モルガン主義、ワイスマン主義に対するミチューリン主義について話してもらえるか?リセンコが促進したのはミチューリン主義で、それは非常にラマルク的やった。
ミチューリンはただの園芸家やったんや。本当にただの庭師やった。彼は獲得形質の遺伝であるラマルク主義を信じてたか、おそらく信じてたやろうな。リセンコは彼がそうしたと仮定して、その教義を彼の名前に接ぎ木して、彼は当時のソビエト農学の一種のヒーローになったんや。その時彼はもう死んでて、みんなが彼のいわゆる教義にひざまずかなければならなかった。彼は本当にただの庭師やったんや。
彼とリセンコの両方が獲得形質の遺伝を信じてて、それは反遺伝学的やねん。それは真実ではないねん。それは持続的に頭をもたげる教義やねん。多くの人がそれが真実であることを望んでるねん。おそらく政治的な人間の欲望がそれを真実にしたがってるんや。もしそれが真実なら、人類の完成のようなことに使えると信じてるねん。
ワイスマン的選択肢は、君が持ってる遺伝子を手に入れて、それについて何もできないということやねん。それらは君のもので、君の子供それぞれに半分を渡すが、途中でそれらに影響を与えることはできへん。それらは川のように君を流れていくだけやねん。それは非常に異なってるねん。それはリセンコとスターリン、そして投獄、追放、処刑された異端者を除いて、当時のソビエト農学の本質的にすべてにとって忌み嫌われるものやった。
そのアイデアで、君は彼が非常にラマルク的な概念を再発見したと言うてるねん。それは庭師なら誰でも知ってる単純な概念やねん。植物は環境ストレスに反応して変化することができるし、寒さが花を咲かせることができる、それはベルナリゼーションと呼ばれてるねん。しかし何が間違ったか、君が言うには、それは遺伝されないねん。
そうそう、それが遺伝されるという信念、何らかの記憶が続くということ、それがマルクス的なんや。そして君がここで述べる点で、人々はなぜそれが流行ったのか疑問に思うかもしれんが、君は「彼のナンセンスは、ソビエトのイデオロギーに適合し、人間の無限の改善可能性と可塑性に対するマルクス主義的準宗教的信仰に適合してなかったら、自然死を遂げていたやろう」と述べてるねん。これは遺伝学に対する一般的な疑念と一緒になってるねん。
だから、将来の世代が過去の世代が行ったことのために遺伝的に、文字通り遺伝的に改善できるという考えやねん。
まあ、少なくとも過去の世代が言ったことのためやな。もちろん、過去の世代が行ったことによって改善できるで。つまり、例えば、木のざわめきがライオンやと信じない人々がいる社会にいる場合、君の将来の世代はそのために苦しむやろうという意味でな。しかし、君が人生で行ってることによって遺伝子が変わるという考えは、それがマルクス主義的概念、人間が改善でき可塑的であるという概念に捉えられたということやねん。私は以前にそれを聞いたことがなかったんや。いつもなぜリセンコが流行ったのか疑問に思ってたんやが、それがその概念、人間が改善でき可塑的であるというマルクス主義的概念やねん。
そして、バーナルやJBSホールデンのような西洋の科学者がいたことを知ってるねん。彼らはマルクス主義的信念のために、ホールデンの場合は短期間、バーナルの場合はそれほど短期間ではなかったが、それに食いついて彼を支持し、場合によっては彼が言ったことが真実であることを確認する実験をしようとしたんや。
ホールデンを偉大な生物学者と思うけど面白いことに、彼らは最終的にそれを手放したのか?まあ、ホールデンは最後までマルクス主義者やったと思うが、確実にリセンコは諦めたやろうな。
そして君は、ロシアでの大飢餓を引き起こしたことは知ってたが、実際に1950年から59年、61年の間に、リセンコのクラックポットが毛沢東の大躍進政策で流行ったため、同じイデオロギー的理由で4500万人もの中国人が飢餓で死んだと君が言うてることは知らなかったで。そうや。驚くべきことやねん。
政治的イデオロギーが科学を圧倒する実例
この会議からの引用があるねん。私は読まなあかんと思うで。なぜなら、それらは政治的イデオロギーがここで科学を上回る様子を本当に捉えてるからやねん。
「同志たち、生物学の理論的路線に関して、ソビエト生物学者はミチューリンの原理が唯一の科学的原理であると考えてる。獲得形質の遺伝性を否定するワイスマン主義者とその追随者は、あまり長く論じる価値がない。未来はミチューリンのものであり、レーニンとスターリンがミチューリンを発見し、彼の教えをソビエト人民の財産にしたのや」。
それは続いて、興味深く、現代の文脈で見ることが重要やと思うねん。イデオロギーによる科学への現代の攻撃がどのように起こったかについて、他の人々、他の学者がどのように飛び乗るかを見ることやねん。君は他の人々、リセンコ以外の人々のスピーチを引用してる。「実践的農学の道を照らすことができる唯一の正しい理論、ミチューリンとリセンコの理論である」。「君に奇妙な出来事を話すのを控えることができない」と言って、教授が抗議した時、それがどれほどひどいものだったか、そして人々が異なって考える人々を非難し始めてることについてやねん。それは本当に重要な特徴やと思うで。
そして会議の最後には、立ち上がって自分の罪を告白した哀れな個人がいるねん。それは見る価値があるで。
そうや。つまり、私はそれを悪意のある告白のようなものと考える傾向があるが、そこに行く前に、植物の起源やショウジョウバエなどを中心とするワバロフへの攻撃があったねん。ワバロフはリセンコが最終的に処罰した人やったのか?
そうや、ワバロフは真に優秀な植物遺伝学者やった。彼は非常に優秀やった。彼は植物の種子の膨大なコレクションを作り、非常に優秀な科学者やった。彼は最終的にスパイ活動のでっち上げ容疑で逮捕され、ひどい状況で獄中で死んだんや。彼はその後ロシアで名誉回復されてるねん。
それは知って良かったが、しかし今これらの撤回に行こうか。興味深いのは、私が今起こってることと似たようなものを見てるからやねん。様々な科学者で、ある人は「このセッションを離れる時、最初にしなければならないことは、新しいミチューリン科学に対する自分自身の態度だけでなく、私の初期の活動全体を見直すことや」と書いた。
そして「T.D.リセンコから私を分けた過去を忘れてもらおう。いつも真実ではなかったが、今日私がこの一歩を踏み出すのは党員として、そして我々の党の誠実なメンバーとして、正直にやってる」と信じてくれと言うねん。
その種の撤回は見るのが興味深いねん。なぜなら現在、性別について話すことになる分野だけでなく様々な分野で、人々が事後に雑誌から論文を撤回する多くの論文があるからやねん。例えば、それらが不快感を与える可能性があるという理由でな。
あるいは生物学的な例を取ると、君と私が両方とも知ってるフランシス・コリンズがいるねん。彼は国立衛生研究所の長官やったが、ジョージ・フロイドの事件の後、科学が体系的に人種差別的やと言うのが流行になった時、彼は国立衛生研究所が彼が所長である間ずっと基本的に体系的に人種差別的やったと告白したんや。
しかしその種の美徳のシグナリングは明らかに何の意味もないねん。なぜなら、もし彼が本当にそれを信じてるなら辞任したやろうからな。しかし君はそれをリセンコの場合に見るし、君がワバロフと指摘するように人々の命が本当に危険にさらされてて、現代版では人々の命ではなく人々のキャリアが危険にさらされ、人々の職業的キャリアと評判が危険にさらされてるという不穏な側面があるねん。
現代の例:性は社会的構築物か
そして君はより現代的で非常に現在の例、イデオロギーが科学に侵入してる例に転じるねん。それは君のセクション「性は社会的構築物か」やねん。ここには興味深いことがあって、いつものように君を読んで学ぶねん。君は我々の本に作品を持ってるアラン・ソーカルを引用してるねん。これはいわゆる科学知識について科学に対するポストモダニストの態度に基づいてるねん。
彼はそれを「いわゆる科学的知識は実際には我々の外部の現実の客観的知識を構成するのではなく、神話や宗教と同等の単なる社会的構築物であり、それゆえ有効性に対する平等な主張を持つ」と定義してるねん。
君がここで持ってる社会科学者からの2つの引用は私を吹き飛ばしたで。読まなあかんねん。科学社会学者ハリー・コリンズ「自然界は科学的知識の構築において小さいか存在しない役割を果たす」。どうやって彼はそんなことを言えるんや?ただ衝撃的やねん。
そしてもう一人の社会科学者、ケネス・ガーゲン「科学における理論的命題の妥当性は事実的証拠によって全く影響されない」。人々はこれを作り上げることができるが、君は社会的構築物が何かを指摘してるねん。素晴らしいと思う2つの例やねん。一つはお金で、一つはカレンダーやねん。それについてちょっと詳しく説明してもらえるか?
お金は本質的価値を持たないねん。他の人がそれを価値あるものとするから価値があるだけやねん。だからそれは社会的構築物やねん。私が指摘するように、1ドルと書かれた緑色の紙と100ドルと書かれた緑色の紙では、2番目のものは最初のものより100倍の価値があるが、それらはただの緑色の紙やねん。違いを生むのは社会的構築物やねん。
カレンダーは、まあ日で表した年の長さは客観的事実やねん。それは地球の自転と地球の太陽周りの軌道によって支配されてるねん。しかしカレンダー、12ヶ月への分割、7日の週への分割、それは社会的構築物やねん。
私はユリウス暦がグレゴリウス暦に取って代わられた時の最後の11日間のかなりユーモラスな例を引用してるねん。彼らは9月のある時に11日飛んで、人々は11日が彼らの命から盗まれたと思って暴動を起こしたとされてるねん。つまり、それは社会的構築物の昇格で、それが立ち入るべきではない場所にやってきたんや。カレンダーは社会的構築物やねん。地球の軌道はそうではないねん。
そして君が何を考えようと、地球の軌道は一定の時間がかかるねん。それは人々がそれを見たい人のための素晴らしい例やと思うで。
ポストモダニズムのもう一つの側面は権力という概念やねん。君はソーカルからの別の引用を引用してるねん。スタンリー・アロノウィッツからのもので「科学はその発見を権力と結びつけることによって自らを正当化する。この結びつきが信頼できる知識として何を構成するかを決定し、単に影響するだけでなく決定するのや」。何らかの形で全てが権力の観点から定義でき、知識は権力を持つ人々によってのみ定義され、人々の外部にある何かではないという概念やねん。
君はこの態度が「自然そのものに対する準神的支配を人間に専有する、人間の権力の傲慢な誇大化を例示してる」と言うてるねん。リセンコが科学がマルクス主義・レーニン主義理論と衝突する場合に科学を覆そうとする決意と同様に、もし現実が単なる社会的構築物なら、社会は現実を変える力を持ってるねん。
そしてここで君は、男性が女性になりたいという理由だけで男性を女性であると法的に宣言することは、永久運動ジョークやカレンダー暴動ジョークと多くの共通点があると論じるやろうねん。
永久運動ジョークは熱力学の法則を廃止して永久運動を持てるようにするというものやった。そうや、それは素晴らしいアイデアで、私はそれを持ってると思ってる人々からいつも手紙をもらうねん。物理学者であることの�呪いやねん。
しかし要点は、性について明確に定義された定義があるということで、我々はそれに入るが、その侵入は現実やねん。君は2023年にアメリカ医師会が指摘してることを示してるねん。私は本で医師による記事をいくつか持ってて、性別肯定治療における侵入や性の定義について話してるねん。
しかしAMAは2023年に性と性別の多様性のためのベストプラクティスを定めたねん。医学生は性と性別の両方が社会的に構築されたものであると教えられ、「性と性別のラベルの両方に関して各個人の自己決定を肯定することが適切である」と引用されてるねん。
私たちは真剣に、患者の性が単なる解剖学的・生理学的現実ではなく個人の選択の問題であると考える若い医師の世代を訓練してるのか?これについて狂ってることは、ほとんどすべての患者に聞けばすぐに答えを知ってることやねん。彼らの医師が知らないと考えるのは恐ろしいことやねん。
医師は知ってると思うが、アメリカ医師会は流行の教義に迎合しようとしてるんや。しかし実際には、生物学的男性を患者として実際に治療する時に女性であるかのように扱う医師は、あまり良い医師ではないねん。
それは期待されることやねん。君が述べるもう一つの重要な点は本当に重要やねん。想像できるし、私は将来のものではなく既に存在する訴訟があると思うねん。州では、未成年の時に移行した、または移行させられた人々からの訴訟があると思うねん。彼らはその選択肢がなかったと感じてるんや。
しかし君は言うことができるねん。「ヒポクラテスの誓いの最初の条項である害を与えないことに違反して、その後後悔された間違った性を割り当てられたという主張以外に何の理由もなく、同意年齢以下の少女の胸を切り落とした外科医に対する将来の訴訟を想像することができる。結局、同意年齢以下とは、永続的な人生を変える決定をするには若すぎるということではないのか?」
同意年齢は法的区分やねん。この場合少女がセックスすることに同意できる時やねん。明らかにそれは恣意的な区分やが、それでもそこにあるねん。胸を切り落とすという決定はセックスするという決定と少なくとも同じくらい急進的やと思うやろうねん。だから、少女が男の子だと思うという理由だけで同意年齢以下の少女の胸を切り落とす外科医は、資格剥奪されるべきやし、将来的にそうなることを願ってるで。
私たちは見ることになると思うし、本に書いてる科学者や医師の何人かとすでにインタビューしたが、それは起こってるねん。残念なことは、現時点では英国やヨーロッパよりもアメリカでははるかに効果的に起こってないことやねん。アメリカは遅れをとってるねん。
君はその反対を意味してるのか?反対やねん。反対は、カス報告や英国の他の報告で、基本的に性別肯定的な、子供に人生を変える決定をすべきではないと指摘してることで、ヨーロッパもそれに沿ってるが、アメリカではまだ起こってないねん。
生物学的性の定義
よし、それから我々は生物学に転じるねん。それは素晴らしいことやねん。なぜならそれは分野やからな。君は性の定義を指摘してるねん。性の定義が本当に重要である理由は、しばしば性の定義がXY染色体対XX染色体やと聞くからやねん。代わりに君は配偶子サイズに基づく君が普遍的生物学的定義と呼ぶものを提唱してるねん。それは動物と植物界全体、そして進化史全体を通じて適用される唯一の定義やからやと君は言うてるねん。
それについて説明してもらえるか?染色体は哺乳類では機能するねん。哺乳類では、雄はXYで雌はXXやねん。鳥と蝶では逆やねん。鳥はXYの等価物やねん。多くの爬虫類では、それは温度によって行われるねん。一部の爬虫類では、XXYシステムによって行われるねん。性が決定される方法はあらゆる種類があるねん。だからそれについて普遍的なものはないねん。
雄と雌を定義するための配偶子サイズの基準は普遍的やねん。それはすべての動物と植物で普遍的やねん。藻類では、菌類ではないが、それ以外は普遍的やねん。精子と卵の間に中間的な配偶子はないねん。君の配偶子は微小配偶子か巨大配偶子のどちらかやねん。
両方を持つ雌雄同体になることができ、それは単に雄の生殖腺と雌の生殖腺の両方を持つことを意味するねん。時には同時に、時には人生の異なる時期にな。それは魚や他の生物、ミミズやカタツムリでは合理的に一般的やねん。しかし微小配偶子と巨大配偶子の間の配偶子サイズの分割は普遍的で、それには非常に良い理由があるねん。
数学的モデルは、等しい配偶子サイズである同型配偶が期待される条件下で不安定であることを示してるねん。一部の配偶子がより小さく、より多くなり、他の配偶子がより大きく、より少なくなる暴走自然選択効果が起こるねん。小さな配偶子が運動性になり、大きなものを探すのに適応するねん。
それが精子と卵の分割やねん。それは普遍的で、完全に理解されてて、広範囲にわたり、進化を通じて続いてるねん。これを明確にするために、君はそれを呼ばない、それは私にとって新しい言葉やが異型配偶と呼ばれてるが、要点は雌の配偶子は大きく、雄の配偶子は小さく、それが雌と雄を定義するということやねん。それがそれを定義し、中間体はないし、性は二元的やねん。性は絶対的に二元的やねん。
君が言った通り、なぜそれが起こったかの数学的モデルがあるねん。基本的にそれは経済学やねん。パーカーや他の人の議論のいずれかを通してもらいたいか?
私はできるで。同型配偶は同じサイズの配偶子を見るシステムで、一部の藻類で見られるねん。そこでは配偶子は等しいサイズで、接合子を作る、新しい個体を作るコストは両親によって等しく負担されるねん。だからそれについて経済的公平性があって、両方が等しい量を貢献するんや。
異型配偶への不安定な逃走は、一方の性が経済的提供者、つまり雌性、卵性、卵子性となることを導くねん。他方の性はただDNAを貢献するだけやねん。そしてそこから動物界全体を通じて雄と雌の間の多くの違いが生まれる多くのことが続くねん。それは基本的な経済的不平等から根本的に生じる性の間の違いの一貫した物語として全てがまとまってるねん。
つまり、大きなものを持ってる場合、それらは生き残る可能性が高いねん。小さなものでは物事をすることができるが、それから経済学があるねん。大きなものを持ってる場合、それらにもっと時間とエネルギーを費やさなければならないねん。
君が言ってて、本当に重要で本当に嬉しいのは、科学における定義はただの定義やということやねん。しかし重要なのは、それらが物事を説明するかどうかやねん。それが本当に重要なことで、科学の説明的側面やねん。
ファインマンは君が鳥を好きだと知ってるが、ファインマンは鳥の名前が何であるかは重要ではないと言ってたんや。それが何をするか、何をするかやったんや。君が指摘してて、これは本当に重要やが、「異型配偶の基本的経済的不平等は多数の生物学的現象を説明する。したがって、性の普遍的二元的定義(UBD)が多くの説明的作業を行うという君の主張を正当化する」と君は言うてるねん。
雌を巨大配偶子生産者として、雄を微小配偶子生産者として定義すると、以下の事実をすぐに説明できるねん。14個あるで。哺乳類では、授乳するのは雌やねん。鳥類では、一方の性だけが抱卵し、雛に餌を与える時、それはほぼ常に雌やねん。生きた子を産む魚では、それはほぼ常に雌やねん。続いていくねん。
一方の性が他方を他者との交尾から守る時、それはほぼ常に雄やねん。一夫多妻制は一妻多夫制よりもはるかに一般的やねん。一方の性が他方より若く死ぬ傾向がある時、それは通常雄やねん。一方の性が他方の時、通常は雄やねん。すべての場合で、鍵は経済学やねん。大きな配偶子は小さなもので様々な方法でより多くのコストがかかるねん。不平等が現れるねん。
それが重要である理由やと思うねん。この定義は実際に何が起こってるかを説明するねん。だからそれが重要やねん。君は美しい段落を持ってて、もしかしたら君がそれを説明できるかもしれんが、異型配偶が生殖を支配したが、他の多くのバージョンの性が来て去ったという段落やねん。読みたいなら読むか、もしかしたら君が覚えてるかもしれんが。
様々な異常があるねん。ハイエナでは、雌は雄に非常に似てるねん。雄のように見えるねん。偽の雄の生殖器を持ってるねん。偽の睾丸さえ持ってるねん。偽のペニスもな。そして社会的に支配的になる傾向があるねん。これは雄が出産するという伝説を生み出したんや。実際には雌が出産してるが、雄のように見えるんや。
魚であるタツノオトシゴがいるねん。雄が妊娠するねん。実際に腹に育児嚢を持ってるねん。君は「なぜそれが雄だと分かるのか?妊娠する者を雌として定義してはどうか?」と聞くかもしれんが、そうすると君が言及した他の14の説明的なものすべてを失うことになるねん。
私は君に戻りたいが、君は物事が時間とともに変化することも指摘したねん。君の段落を読ませてもらうが、それは私にとって非常に解放的やったからやねん。
「異型配偶は恐らく20億年間、生殖、交配システム、社会システムを支配してきた。性を定義する他のすべての方法は多数の例外にぶつかる。性染色体は進化時間を通じて現れては消えるねん。海への配偶子放出は交尾に道を譲り、その逆もある。性器は永劫が過ぎるにつれて成長し、縮小し、再び成長するねん」。
つまり、これらの他の多くのものや、君が言うように「雌雄同体システムは忠実な一夫一妻制と場所を変える。性的コミットメントの心理学は風のように変わる」ので、他の定義の多くは時間とともに生物学的に変化するねん。本当に重要なのは、君が「性の違いについて知る必要があるのはこれだけで、知る必要があるのはこれだけや。一方の性は他方よりもはるかに小さく数多い配偶子を生産する」と言ってることやねん。
君はキーツが進化生物学者やったら少し誇張したかもしれんと言うてるねん。他の定義はすべて、ある意味で時間に依存し、しばしば種に依存してるが、この配偶子の記述はそうではないねん。君が言及したタツノオトシゴやねん。しかし君がよく話すもう一つは、愛好家が話すのが大好きなイソギンチャクについてやねん。すまん、カクレクマノミ、イソギンチャクの周りにいるのが好きなクマノミ、それらは連続的雌雄同体やねん。
私は先ほど雌雄同体について言及したねん。カタツムリやミミズは同時雌雄同体やねん。これらの魚は連続雌雄同体やねん。しかし、彼らは性が非二元的なロビーの大きなお気に入りやと知ってるが、彼らはただの雌雄同体やねん。彼らは雌雄同体やねん。君が指摘する点は、一匹が死ぬと支配的な雄が雌になるのは本当やということやねん。
しかしそれは何を意味するのか?それは支配的な雄が雌になると、突然精子の代わりに卵を産生し始めることを意味するねん。それは何が雌かの定義に従うねん。雌になりたいからではないねん。卵を産生し始め、その前は精子を産生してて、それがそれを定義するから、クマノミの場合、そうや、彼らは性を変えることができるが、それはまだ二元的やねん。
そうや。それは本当に重要な点やねん。そして君は実際に、私がかつて我々のオリジンイベントの一つで迎えた人について話してるねん。アン・ファウスト・スターリングで、彼女は性的連続体があると論じたが、君はそれが本当にないことを指摘してるねん。それは二元的やねん。もちろん、遺伝的変異体と呼びたければ呼んでもいいが、非常に小さなレベルで、しかし人間の集団を見ると、それはスペクトラムではないねん。それは完全に二元的やねん。
私は棒グラフ、ヒストグラムを描く類推を持ってるねん。明確な雄の赤ちゃんと明確な雌の赤ちゃんの数を、もし君がそれらを君のヒストグラムで世界貿易センターの双子の塔として表現するなら、中間体があるとすれば、中間体は彼らの間の中程度のサイズの丘陵の高さになるやろうねん。
それは二元的ではないねん。すまん、それは二元的やねん。しかし君が指摘するように、それも過大評価やねん。真の数字はゼロやねん。そうやねん。誰も卵と精子の中間の中間サイズの配偶子を産生しないねん。だからその場合、それが本当に二元的に留まることは明らかやねん。
非常に重要なことで、再びこの死んだ馬をもう一度叩くために、ヘビで、一部のトカゲで、妊娠が異なる温度で行われる場合、雄が、雌または雄のどちらかを産生するが、雌または雄のどちらかになるという状況があるねん。それが要点やろう?中間的ではないねん。
そうや。よし、今度は君が少し厄介な概念に入るねん。君は「性別という言葉が混乱の雲を引きずって談話に入る」と指摘してて、確かにそうやねん。もちろん君は言語学的に、文法的に異なる言語で性別があることを指摘してるねん。君は性別の議論を人々についてではなく、それらの言語に制限することを好むねん。なぜなら性別と性が混同されるからやねん。
少なくとも君に悪魔の代弁者をさせるか、もしかしたら潜在的に異なる考え方をさせてもらおう。私は性について考える傾向があり、私は女性と男性は使わず、性に対して雄と雌を使い、性別に対して女性と男性を使うねん。なぜなら私は性別を性的アイデンティティの表現として考える傾向があるからやねん。
だから、遺伝子が発現されるように、それは性別アイデンティティの発現やねん。だから雄は、あらゆる点でそれが彼らの個人的性的アイデンティティの表現やから、性別的に女性のように振る舞うかもしれんねん。それは彼らを雌にはしないが、性別的には女性やねん。
今、私の推測では君はそれに問題があるやろうか?まあ、彼らは自分たちを好きなように呼ぶのは自由やねん。しかし、もし彼らが実際には男性やのに女性を装ってボクシングリングに入るなら、相手をノックアウトするのは彼らの性別ではないねん。彼らの性やねん。
本当に重要なことがあると思うねん。ここで混乱が生じるのは、人々が性別と性を混同することで、それらは同じものではないねん。その後は少し意味論になるねん。性も同様やねん。性別はより多くの異なる定義を持ってるねん。私はこの文脈で性別という言葉を使う必要を感じないねん。私が言ったように、私は文法的文脈でそれを使うねん。フランス語を学んでる場合、名詞の性別を知らなければならないねん。名詞の代名詞を尊重しなければならないねん。テーブルが女性的であることを尊重しなければならないねん。そうでなければ適切なフランス語を話してないからな。それが性別やねん。
それは私たちが性別として考えるものと同じ役割を言語で果たす、一種の偶然やねん。一部の言語は15の性別を持ってて、それらは私たちが性別として考えるものと同じ役割を言語で果たすねん。君はそれをスティーブン・ピンカーから学んだと言ったねん。15の性別を持つ言語があることは知らなかったで。驚くべきことやねん。15の性別やねん。
しかし、そして君がここで指摘する価値があることやねん。君は「現在のトランスセクシュアリズムの流行は、時々ウォークと呼ばれる相互関連した流行のクラスターに属し、一部は社会正義への誠実な関心から生じ、大部分は善意で、リセンコについては言えなかったが、誤導され科学的に無知で、リセンコについては言えたことや」と言うてるねん。
要点は、起こったことの多くは、君が指摘するように性別違和を持つ人々、性別違和を持つトランスセクシュアルがいて、彼らの性別違和を理解し同情できるし、他の誰に対してもするように彼らに対して差別すべきではないということやねん。だからこれの社会正義の起源は、性別違和を持つ人々に対して差別すべきではないということやねん。
しかしそれが極端で非科学的なバージョンに取られて、彼らが性別違和を持ってるのではないと言うことやねん。彼らは文字通り他の性やねん。それはポストモダニズムから来る言語の倒錯やねん。それは私の意見では許容できないねん。
ここでの問題で君が指摘してることは、これは前に問題ではなかったねん。つまり、前ほど広範囲にわたる問題ではなかったねん。君は「まあ、人々は反対の性に生まれることを望み、間違った体に閉じ込められてると感じることができる。しかし君は今日の周囲の文化、医師、精神科医、教師、政治指導者、弁護士、そして何よりも学校の友人がかなりの後押しをする」と言うてるねん。
君が性と言う時、私は頑張れと言うねん。頑張れやねん。君が出生時に割り当てられた性は恣意的やと言う時、それは実際に性が割り当てられて現実ではないことを示唆してるねん。だからそれは人々をこの性別と性の混同をするよう押し進める文化的側面やねん。
骨格のように痩せてる拒食症の人に、大丈夫、君は痩せてない、君は痩せてないと言うようなもんやねん。そのような感じで、それは彼らをそれに押し進めてるねん。
そして君と私が両方ともより多くの問題に巻き込まれるように、極度に肥満である人々がいて、極度に肥満であることに健康問題があることを、好むと好まざるとに関わらず、しかし現在の流行はそこに問題があることを示唆しないことやねん。つまり、それを誇りに思うことやねん。私は理解するねん。なぜなら肥満の人々に対して差別したくないからやが、しかしそれが健康的やと言う必要はないねん。
そうや。そして私は確実にそれに対してヘイトメールを受け取るやろうねん。しかしとにかく、君はこれにはもう2つの問題があることを指摘してるねん。一つは単に間違ってる言語や報告やものやねん。
例えば、ボーンマス・デイリー・エコーで「彼女は子供の前での性的活動に関与した4つの罪と、彼女が意図的に彼女のペニスを露出した2つの露出罪で告発されてる」。彼女のペニスを意図的に露出した、と注意してや。彼女のペニスやねん。
そして別のもの「トランスジェンダー女性が高等裁判所で裁判にかけられる際、彼女のペニスで2人の女性をレイプしたことを否定した」。それはタイムズやった。君はそれが結果をもたらすことを指摘してるねん。
実際に男性である人々による犯罪を人々が女性と呼んで報告する場合、犯罪報告の統計において、公共政策に影響を与える場合、間違った科学を使うと間違った公共政策を得るということやねん。
それは数ヶ月前に出会うまで私には本当に起こらなかった点やねん。暴力犯罪の大部分は実際に男性によって犯されてるという非常に重要な点やからやねん。そして女性を装った男性が、もし彼の犯罪が女性の犯罪として記録されるなら、それは統計に劇的な影響を与え、それは本当の女性に対して非常に不公正やねん。
君は統計で15倍間違った推定値を与えると指摘してると思うねん。しかし、これを始めると別の問題もあるねん。思想警察の問題で、特に英国で、しかしカナダでも多く見られてるねん。
君は「もしジャーナリストが彼女のペニスの代わりに彼のペニスと言ってたら、タイムズは性別を間違えたことで警察に問題を起こされた可能性がある」と指摘してるねん。この例では2020年に、ハンバーサイド警察がハリー・ミラーの職場に押しかけて、彼のツイートの一つがヘイト事件として記録されてると警告したんや。
そのツイートは何やったか?「私は出生時に哺乳類に割り当てられたが、私の性的指向は魚や。種を間違えるな」やねん。良いジョークやねん。それがヘイトスピーチと呼ばれる時は恐ろしいジョークやねん。
そしてこの件について質問し始めることが恐ろしい点になった時やねん。私はここでそれを飛ばしたと思うが、君は優しくそれを飛ばしてるねん。実際、後で出てくるねん。それは性と人種やねん。君は本当に興味深い点を述べてて、私には起こらなかった点やが、人種は多遺伝子的やということやねん。多遺伝子的に遺伝するということやねん。
つまり、白人と黒人の親が交配して子供を産む時、その子供たちの肌の色はより明るくも暗くもなり得て、白と黒の概念に反するということやねん。だから人種は本当にある意味でスペクトラムやねん。それは本当にそうやねん。私には決して起こらなかった質問やが、君は「なぜ非生物学的自己同一化の流行は性を選んで人種を選ばなかったのか?なぜ二重基準なのか?」と言うてるねん。
誰かがそれに答えを持ってるかどうかは分からんねん。レベッカ・タベルが哲学雑誌でこれについて記事を書いて、それでひどく攻撃されたんや。狂ってて偏見があってトランスフォビックで何でもかんでもと見なされたんや。彼女は単に真実を指摘しただけやねん。人種は連続体やということやねん。だからもし性でそれをするなら、なぜ人種でそれを奨励しないのか?本当に興味深い点やねん。
彼女のケースについて、ちなみに人々のためにこれを明確にするが、それは記事にあるねん。彼女は記事で、異なる人種のメンバーとして同一化したレイチェル・ドレザルのケースを、異なる性のメンバーとして同一化した有名なアメリカの選手で元ブルース・ジェンナーであるケイトリン・ジェンナーのケースと比較したんや。記事への反応は再びリセンコ的やった。
私が強調したいのはそれやねん。それはヒステリックやった。雑誌の副編集長の大多数が謝罪を発表し、編集長が辞任したんや。もちろん彼女は人種差別的、狂ってる、人種差別的、トランスフォビック、何でもかんでもと告発されたねん。
それに基づいて攻撃された他の誰かがいたねん。それは君やった。それに基づいて、君は2021年に以下のツイートを作成したねん。私は2015年に鮮明に覚えてるねん。君は2015年にツイートを作成したんや。
「レイチェル・ドレザル、NAACPの白人支部長が黒人として同一化したことで中傷された。一部の男性は女性として同一化することを選び、一部の女性は男性として同一化することを選ぶ。もし彼らが文字通り同一化するものであることを否定するなら中傷されるやろう。議論せよ」。
それは人々に考えてもらいたい教師が期待するような完璧な種類の質問やねん。君は結局教師で教授やからな。そして君が人々に議論するよう求めたそのツイートに対して、君は中傷されたと君は指摘してるねん。より良く知るべき組織であるアメリカヒューマニスト協会が、人々に考えるよう求めたことに対して君の年間ヒューマニスト賞を遡及的に剥奪したことを指摘しなければならないと思うねん。それはヒューマニズムが何であるべきかの正反対やねん。それがそんなに極端であることは本当に注目すべきことやねん。
神学的類似点:原罪と変質
君が話す次の興味深いことは、もちろん君は世界で最も有名な無神論者として知られてるし、私もその点で君と関連してるが、君は現代の犠牲者化への執着と性を変える意欲の両方に2つの特徴があると指摘してるねん。一つは原罪から来て、もう一つは変質から来るねん。それを説明してもらえるか?
原罪はキリスト教の最も不快な教義の一つやねん。それはすべての人が罪を持って生まれる、原罪を持って生まれると述べてるねん。彼らはアダムの罪を継承してるねん、信じられんことにな。
アダムの罪は精液の形で降りてくるねん。だからイエスは精液で受胎されなかったんや。だから彼は原罪から自由やった。そして彼の母マリアも神学的理由で罪から自由でなければならなかった。だから彼女は無原罪で受胎されることが必要やった。だからそれはある教皇によって発明されたんや、いつか忘れたが。
原罪はキリスト教の基本的な鍵やねん。そして原罪は白人に接ぎ木されてるねん。なぜなら我々の白人の祖先が奴隷制の形で黒人に対してそのような恐ろしいことをしたからやねん。それは本当に恐ろしかったねん。つまり、まったくひどく見るのがおぞましい。
私の記事の元のバージョンでは写真があったが、出版版では削除されたが、船倉に奴隷がイワシのようにいる奴隷船の写真があったんや。ただただ嫌悪感を催す、ただ恐ろしい恐ろしい残虐行為やねん。
だからそれをした白人たちはあらゆる可能な方法で非難されるに値するねん。しかし白人である我々は、我々が白人やという理由だけで我々の白人の祖先が行ったことに責任があるわけではないねん。人間として、人類は恐ろしいことをする能力があると言うことはできるねん。しかし我々は白人やという理由だけで先祖の罪悪感を継承する値打ちはないねん。
それは非常に非常にキリスト教的な種類の教義やねん。それは原罪やねん。君が指摘するように、そのような残虐行為に対して責任のある人々は死んで入手不可能やねん。アフリカ人を奴隷制に売ったアフリカの首長たちも、アラブの奴隷商人も同様やねん。
つまり、みんながこの贖罪の罪悪感に苦しんでると論じることもできるねん。しかしそれは本当に興味深い点で、原罪に非常に似てるねん。私は最初にヒッチンズから聞いたが、引用はもっと遠くに行くと理解してるが、我々は病気で生まれるが健康であることを命じられるねん。キリスト教の大きな問題の一つやねん。
しかしもう一つは変質で、それは本当に驚くべきことやねん。プロテスタントはそれを類推として見るが、ローマカトリックはそれを文字通りとして見るねん。彼らはアリストテレスの実体と真の本質の区別を使うねん。アリストテレスはもちろんキリスト教よりもずっと前やが、アリストテレスはその歴史を通じてキリスト教に非常に影響力があったねん。
だからローマカトリック教徒がパンとワインの司祭による祝福がそれをキリストの体と血に変えると言う時、彼らは明らかに本当にそれが体と血やとは思ってないねん。しかしアリストテレス的意味では、真の実体が、実体はアリストテレスの専門用語やが、真の実体は体と血やねん。司祭がそれを祝福する時、それは変質、キリストの体と血に変質するねん。
だから実際のパンとワインは単なるアリストテレス的偶有性になるねん。偶有性は専門的なアリストテレス的専門用語やねん。だからトランスセクシュアルの人々が効果的に言ってることは、立ち上がって「私は女性や」と発表する行為そのものが君を女性に変えるということやねん。だから君がまだペニスを持ってても、それは単なるアリストテレス的偶有性で、真の実体では君は女性やねん。
もう一つ付け加えることができるのは、君が二元論者やということやねん。なぜなら、彼らがするように、君が間違った体に閉じ込められてると言うなら、君は生物学的には男性やが、間違った体に閉じ込められた女性やということやねん。それは一種の二元論やねん。
真に女性の魂を持つ不滅の魂があって、それが男性の体のこの閉じ込めから抜け出そうと奮闘してるというようなもんやねん。そして魂はアリストテレス的実体で、男性の体はアリストテレス的偶有性やねん。
よし、君が結論で述べる興味深い声明があるねん。私は100%同意するかどうか分からんが、読みたいねん。「もし君の科学が、君の対戦相手がメンデル主義者・モルガン主義者やワイスマン主義者、トランスフォビックな偏屈者、TERF、または完全なMAGA極右トランプ支持者やと叫ぶのが君にできる最善のことであるほど弱いなら、君はすでに議論に負けてるねん」。
まあ、もちろん君は論理的議論に負けてるねん。私を心配させるのは現代の世界では、君は論理的議論に負けないことやねん。それは十分真実やねん。そしてそれが私の考える本当の問題やねん。我々がこの本を書いた理由の一つは、少なくとも学術界と科学において、論理的議論が優先されるべきで、騒音ではないということやねん。
君はこれの大部分が言語が何らかの形で暴力的である、言語によって暴力が行われることができるという奇妙な概念にあることを指摘してるねん。物理的暴力と対比してな。最後の言葉を君に渡したいが、君の最後の言葉を読むことによってや。読まない付録があるが、最後の言葉やねん。
「立場は証拠によって情報を得た合理的議論によって支持されるか反駁されるべきやねん。脅迫や悪口に訴えることによって議論を終了させる人々は、彼らが議論に負けたことを恥ずべき形で示してるねん。リセンコのように、ロシアがリセンコを見抜くのにスターリンの死と数十年を要したねん。我々の世紀において感覚を取り戻すのにそれほど長くかからないことを願おうやないか」。
それは素晴らしい希望で、我々がこの本を書いた理由の一つで、君がこの美しい記事を本を始める記事として親切に書いてくれた理由の一つやねん。外部からではなく内部からの人々によって書かれることによって、そして進行中のことを批判してる科学的学問分野と学術的学問分野の多様なグループと政治的イデオロギーから、基本的に人は証拠によって情報を得た合理的議論によって支持されるか反駁されるべきやという全員の議論によって、本が助けになることを願ってるねん。
それは本当に科学の中核で学術界の中核で、君がいつも美しく描写してることやねん。本での記述と、この議論でのそれについての詳細な説明をありがとう。再びありがとう、リチャード。どうもありがとうございます。


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