この動画は、世界的歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリと日本を代表するアーティスト宇多田ヒカルによる対談である。AI時代における人間の創造性の未来、音楽の本質、そして人間とAIの関係性について深く掘り下げている。フロイト博物館を舞台に、両者は音楽や芸術における人間の役割、AIが持つ創造的可能性、そして意識と感情の違いについて哲学的な議論を展開する。パターンの認識と破壊としての創造性、沈黙と音楽の関係、さらにはAIとの共存の可能性まで、現代における最も重要なテーマの一つを多角的に探求した貴重な対話記録である。

- はじめに:フロイト博物館での出会い
- デジタル時代の分断と音楽の力
- 歴史学者としてのAIへの懸念
- 人間の本質的な創造性
- AIの創造性の現状
- 脳と胃の間のバリア
- 音楽制作における創造的プロセス
- 音楽を通じた発見と忍耐
- 人間とAIの創造的動機の違い
- AIの感情的影響力の可能性
- 努力の痕跡と人間らしさの価値
- 関係性の重要性とスポーツの例
- AIとの関係性と意識の問題
- 人間の魅力と不完全性
- ライブ音楽とAIパフォーマンスの可能性
- 音楽と人間の歴史的つながり
- 音楽同士の相互作用
- AIの欲望と目標追求
- 言葉同士の会話と創作の未来
- 宗教的テキストとAIの役割
- 宗教における音楽の役割
- 金属楽器の魔法的力
- 音楽における嘘の可能性
- 忍耐と創造のプロセス
- 沈黙と音楽の空間
- 混沌から沈黙へ
- AlphaGoと未知の創造領域
- 内なる世界と外なる世界の反射
- AIからの学びと意識への問い
- 意識と知性の違い
- 意識の社会的慣習
- AIの模倣能力と未知への旅
- 10年後への期待とジェットコースターの旅
はじめに:フロイト博物館での出会い
こんにちは。初めまして。
私もお会いできてうれしいです。初めまして、お会いできて嬉しいです。
こちらこそお会いできて嬉しいです。フロイト博物館という場所は、この対談には完璧だと思います。芸術や創造性、人間の心について話すのに。そして、ご存知のように、AIの時代において、これらのことが疑問視され、アーティストや人間の創造性の未来はどうなるのかという問題があります。
でも、まずは少し軽い話題から始めましょうか。
ええ、たくさん深掘りできそうですね。対談のオファーをいただいたとき、とてもワクワクしました。今月で息子が10歳になるのですが、10年前に妊娠していたとき、親しい友人があなたの本を贈ってくれたんです。『サピエンス全史』。
そうでしたか!
その本には「新しいサピエンスを育てているのだから、この本を贈りたい」というメモが添えられていて、今回のご縁に不思議な巡り合わせを感じました。
その本の中で、特に印象に残った話や、何か心に引っかかったものはありましたか?
多くの人が言っていると思いますが、小麦の栽培について語ったくだりがとても印象に残っています。私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が人間を家畜化したのだという視点。それを読んだ瞬間、まさに世界の見方が変わるような衝撃を受けて、一生忘れないと思います。『NEXUS 情報の人類史』でもそういう瞬間を楽しみました。
ありがとうございます。ハラリさんのアイデアの表現方法がとても好きで、たくさんの考えを持ち寄って、それをまるで数式のように、ひとつのシンプルな表現にまとめ上げる。たとえば、ワールドワイドウェブが人々をつなげてきたという例えを繭にたとえる感覚がとても気に入りました。そういったつながりを作ることが私も大好きなんです。
デジタル時代の分断と音楽の力
以前は、ウェブが最終的に全宇宙をつなげると思われていましたが、最近では逆にそのウェブが私たちを包み込んでしまって、人々が隣り合っていても、それぞれが別々の宇宙に閉じこもってしまっているように感じます。そして他者に手を伸ばしてつながることすら難しくなってきている。
それで思うのは、音楽というのは何千年も前から、まさにそういう「つながり」を生み出そうとしてきたものであり、それこそが音楽の力なんだと思います。そして芸術も。
ええ、人をつなげるものですよね。では、早速このような話をしていきたいのですが、ぜひAI時代における音楽の未来についてどう思われますか?
歴史学者としてのAIへの懸念
まず自分自身の話をすると、私は本を書いている歴史学者ですが、歴史を書くというのは、科学と芸術の間のような作業だと思っています。歴史書を書くのは、数式のように単純にはいきませんから、物語を語らなければなりません。だからある意味、自分もアーティストの一人だと思っています。
でも、5年後10年後に自分がまだ本を書いているかは、分かりません。なぜなら2030年代には、AIが『サピエンス全史』や『NEXUS』のような本を私よりもはるかに上手く書くようになっていて、人間がその分野に関わること自体が意味を失っているかもしれないからです。
それって正直、想像することが難しいです。論理的にはそういう未来が来ると理解してはいるのですが、たとえば映画業界にいる友人と話していても、最近では『Veo 3』の話題で持ちきりなんです。
ああ、新しいAIの…
もうまったく別次元です。技術の飛躍がすごくて、将来の仕事のあり方に不安を感じている人も多いんですよ。論理では理解できますが、心の奥深くで「人間は人の手によるものを求めなくなるなんてありえない」と感じてしまうんです。
人間の本質的な創造性
だって、人間は自然にアートを作る存在だと思うんです。生まれて最初にすることの一つが、言葉も話せないのに歌ったり喃語を発したり、歩けないのに踊ったり、何かに反応して体を動かしたりしますよね。私は、宇宙には音楽が満ちていて、そこから芸術も生まれていると思うんです。
そういえば、ハラリさんが以前に話をしてくれたAlphaGoが棋士を打ち負かした話。そこでおっしゃっていたように、創造的な仕事も安全ではないと。
創造性というのは、単純にいうと、創造性というのはパターンを認識する事であると。そしてそれを破壊すること。パターンを認識して、それを破壊する。それが創造性なのです。そして多くの分野で…
AIの創造性の現状
ぜひあなたの意見を伺いたいのですが、音楽に関しては、私は専門ではないので。少なくとも囲碁やチェスのようなゲームでは、今やAIの方が人間よりもずっと創造的です。人間同士の大会でも、AIの助言を受けている疑いが持たれてしまいます。確認する方法の1つは、プレーヤーの創造性のレベルを見ます。あまりに創造的すぎるプレイをすると「ああ、AIからアドバイスを受けているな」と疑われてしまいます。
音楽、映画、本の執筆に至っては、まだその域には達してませんが、ただ過去10年間の傾向を見ると、私が本を書くときに何をしてたか。まず、内容の主題となる問いを見つける必要があります。そして、資料を集めて分析し、物語や逸話などを交えながら文章にまとめていく。それが私の基本的なプロセスです。そして、この一つ一つのステップにおいて、AIができない理由が見当たらないのです。
「AIに問いを生み出す事はできない」と言う友人もいましたが、今では「分野Xにおける最も興味深い研究課題は何か」とAIに尋ねる同僚もいます。
それは、問いを考えるためのリサーチを頼んでいるって事ですか?
そうです。AIに問いを考えさせるんです。
問いを考えるためにですか?
ある特定の分野において、まだ知られていないけれども、興味深い重要な要素を見つけるように指示しているんです。
情報収集や分析の面でも同じです。私が集められる情報の量なんて、AIと比べたらほんのわずかです。それから、書くという作業に至るまで、私は物語や逸話を使ってきました。AIによって書かれた素晴らしい物語もすでに目にしています。
脳と胃の間のバリア
たしかに、いつの時代も、人は子どものように、創作そのものを楽しむために何かを生み出したいと思うでしょう。でも、それは価値があることであり続けるのでしょうか?これまでは単に好きだから生み出していた訳ではないんです。それは非常に価値あることでした。地球上のどんな存在も、人間ほど創造的ではなかったのです。でも今では、より創造的である「何か」が、さまざまな分野に現れつつあります。
そして、あなたが先ほど仰っていたことに、とても共感したのですが、頭では理解できているけれど、心では受け入れられないと。私はそれを「脳と胃の間のバリア」と呼んでいて、脳は状況を理解しているのに、胃がそれを消化しようとしない。そしてその胃のほうが強力なんです。結局、私たちは脳ではなく、胃に支配されているんだと思います。
そして私たちの本能って、まさにそういう「直感」に宿っている気がします。
そうですね。直感はとても深くて、感情的な反応のような物です。そしてそれは文字通り「胃」から来ていると思うんです。実際、胃には何億ものニューロンが存在していて、比喩ではありません。
ですから、私はそういう話をインタビューなどでもしてきました。でも、自分の生活を振り返ってみると、本気で受け止めきれていないと思います。それはAI分野にいる私の同僚たちにも言えることです。AIが何を成し遂げるかについて、非常に恐ろしくて、深遠な予測を立てたりしています。でも、実際の暮らしぶりは全く変わっていないんです。なぜなら、それを本当に想像することが難しすぎるからです。
私たちって結構、鈍いんだと思います。まだ、実際に起きていないことに適応するのが苦手で、たとえば、気候変動が現実であることは分かっているのに、ちゃんと対処できていない。だから、どうなるか見守るしかないですね。
音楽制作における創造的プロセス
でも、創造的であることは、たくさんの問題解決の積み重ねでもあるんですよね。私は創作とは、問いを立てたり問題を見つけていくプロセスだと思っています。そしてその問題をどう解決するか方法をみつける。もう一つ大きいのは、「パターン」を理解して、それを心地よく、あるいは面白く崩していくこと。
私にとって音楽を作るというのは、頭の中で踊っているような感じなんです。自然で予測可能なメロディやコード進行のバランスの中に、自分の感覚を乗せていく。
コード進行というのは、AIがどう上手く音楽を作るのか考える際の参考になると思います。音楽理論の本を開くと、ただ沢山の数字が並んでいるんですよね。そこにはパターンがあって、有名なのは、ドミナントコード(V)からトニック(I)までの進行、4 5 1と2 5 1などのパターンがあります。だから音楽って、すごく数学的で、構造的で、客観的にも感じる。
でも、あらゆる音楽家の中の一人として、AIも「別のアプローチを持った音楽家たちの海」だと考えれば、世界に音楽家が増えただけだとも思えるんです。だとすれば、私はこれまで通り自分のやるべきことをやるだけです。
つまり、世の中にある音楽や、過去に作られた好きな音楽、あるいは好きではない音楽を聴いて、人間として「自然で心地よい」と感じる部分を見つける。その中に、聞いてる人への裏切りだったり、変だったり、意外だったりするものを忍ばせるのが好きなんです。
変だったり、意外だったりするものを忍ばせるのが好きなんです。
パターンを壊すということですよね。
そこが一番楽しいところですよね。私は、自分が面白いと感じるかどうかを基準にしていて、不思議に思うのは、明確な目的がないと…私の限られたAIについての知識で見る限り、創作のプロセスにおける一番大きな違いは、私の音楽制作の目的って、完全に自分本位だということです。なぜなら、自分自身や周囲の世界について、何かを見つけようとしているだけなので。
音楽を通じた発見と忍耐
音楽を通じて何を今までに発見しましたか?何かを発見したエピソードを、ぜひ聞きたいです。
いつも何かしら大きな発見があります。特に歌詞を書くときに、そう感じることが多くて、これが音楽的な部分以上に重要かもしれないですが、自分にとって新しい何かを見つけられない時、抱いていた疑問が頭の中で駆け巡って、行き詰まってしまうんです。
詞の最後の一行が、なかなか出てこない事もあるんですが、そこが一番大事だと思うんです。そこからもっと掘り下げて、何度も自分に問いかける。そして「ウェブVS繭」のようなアナロジーにたどり着くんです。それがタイトルになるかもしれません。
そういうとき、どうやって取り組むんですか?最後の一行が、どうしても出てこないとき、それに取り組むにあたって、何をするのですか?
それは創造性のもう一つの重要な側面だと思っていて、「忍耐」と「手放すこと」です。私はこの忍耐という部分を「ボートに座っている漁師」のような状態だと感じてます。
歌詞を書いているときでも、メロディを作っているときでも、大海原の真ん中でボートに座っているんです。夕食を作っているときでも、着替えているときでも、テレビを観ているときでも、友達と話しているときでも、心のどこかでは私はボートの上にいるんです。
無理に出そうとしてもダメなことは分かっているから、忍耐強く、いつか魚がかかると信じるしかないんです。そして魚は必ずきます。そうやって周囲に適度な気晴らしがあると、頭が一点だけに集中しすぎなくなって、潜在意識の中に、あるアイデアが、いろいろな事が起こってる環境下にいれば、自然と浮かび上がってくるんです。
でも寄ってくるのは、ただ一匹の魚ですか?比喩で考えてみると、何もない海の中で、ただその1匹の魚を待っている。それとも、毎秒、他の魚が一匹ずつ食いついてきて、この魚でもない!こっちの魚でもない!これが探し求めていた一匹だ!となるまで待っているイメージですか?
頭の中にずっとノイズがあって、そこから、これだというものが現れるのか、ずっと静寂が続いていて、ある瞬間、何かが急に現れる感じなのか。
たくさんのアイデアが浮かんでは「うーん、ちょっと違うな」と感じて、たまに「あ、いいかも」って思っても、後々「やっぱり違うかも」ってなったりして。でも本当に「これだ」ってものが来るときって、心の奥にあった、ピントの合っていなかったビジョン、つまり自分の中でずっと探していた答えにぴたりと重なるんです。
それは、最近自分が何を感じていたか、といったことだったりもします。自身の中で「何かしらの真実」を発見するようなものです。それが、私の中の深いところから出てきたものであれば、それは普遍的な真実です。とても根本的なことですから、誰にでも共感してもらえるんだと思います。
人間とAIの創造的動機の違い
それと、『NEXUS』の巻末の謝辞がすごく好きなんです。
そうですか。
「この本を読んでいるとき、私たちの心はつながっている。それ自体がNEXUS(つながり)なんだ」って書いてあって、つまり、それが自身と繋がっている「真実」なんです。それによって世界中の誰とでも繋がれると感じるんです。
でも、最大の違いは動機の部分だと思います。私にはAIがどう感じているかは分からないので、AIに「人々の注意を引くような音楽を作って」とか「発汗や、心拍数の上昇、身体的反応を引き起こす音楽を作って」とか、あるいはもっと脳の深い部分に作用するような音楽を作ってとか、そういった指示は、結果が明確ですよね。まるで「勝敗が明確な試合」のように。
でも私が何かを創っているときって、その結果が何かなんて、自分でも最後までわからないんです。
あなたにとっての「結果」とは何ですか?
音楽自体が結果です。ですがそれと同時に、副産物のようなもので、その制作の過程で起こったすべてのことが、本当の意味で、私にとって大切なんです。
AIの感情的影響力の可能性
でもこれは、創り手にとっての話ですよね。仰ってることは私も全く同意です。人間には「何かを創りたい」という深い欲求があって、それはAIとは関係なく、ずっと続いていくと思います。人がそれを感謝するかはわからないですが…単なる趣味に終わらず、人々がそれを評価してくれるのか、世の中に居場所があるのか、それが問いなんです。
多くのアーティストやクリエイターに「どこを目指しているのか?」「何を達成しようとしているのか」と尋ねると、よくある答えは「誰かの心にある特定の感情や状態を呼び起こすこと」です。たとえば「喜び」や「悲しみ」などです。
これはもしかしたらAIが得意とする分野かもしれません。AIには感情がないとしても、人の感情を認識して、その引き出し方を試行錯誤できる。人間の感情システムが、ピアノのようなものだとしたら、AIは人間の悲しみ、喜び、恐れといった感情を引き出すピアノを演奏できるようになってしまう。そして情報処理能力の差から、人間のアーティストよりも上手にやるかもしれません。
AIは何億人もの人間の情報を処理できます。たとえば私が本を書くとき、よく読者を想像するのですが、その読者は自分自身か、私が知っている人、あるいは大学の学生やイベントで出会った人々など。でもそれは、ごく限られたサンプルデータに過ぎません。私が集められる情報源はせいぜい数百人分でしょう。
一方でAIが本や音楽を創るとしたら、何百万、何十億もの人間のデータを使えるのです。「ある感情や心理状態を引き起こす」という目的においては、AIに太刀打ちできないと思います。しかもAIは、その人それぞれに合わせて、本や歌をも最適化することすら可能になるでしょう。読者ごとに少しずつ違う本を書くことを、私はできませんが、AIにはそれが簡単にできてしまうかもしれません。
努力の痕跡と人間らしさの価値
そうですね。オーダーメイドの要素は、すごく興味深いと思います。試してみたいし、どんな音楽を生み出すのか聞いてみたいです。それはもう私が好きなタイプの音楽に基づいて、アルゴリズム的にプレイリストや曲を提案してくれる音楽ストリーミングプラットフォームのようなものです。
だけど、ただ疑問に思うのは、これが良い比較かどうかは分かりませんが、たとえば、手軽で早くて、すぐに手に入るファストフードのようなものがありますよね。もちろん、それには大きな市場がありますが、人々は、それとは異なるものに価値を見出しもします。それは「努力の痕跡」といったようなものです。
つまり人は、それが簡単にできたものではなく、人の手によって、もしかすると、難しい制限の中であれば、例えそれがAIであっても、時間や労力がかかったプロセスや、誰かが苦労して作った物だと知ったり…
たとえばあなたの本も、書くという行為そのものが闘いであり、人生経験すべてを注ぎ込んだものですよね。つまり、人々は話を聞くのが大好きなんです。どんなマーケティングの方や音楽業界の方、セールスや出版社やプロモーションの人でも、いつも「あなたのストーリーは何?」と聞いてきますよね。「みんな物語に弱いんだ!」「物語が一番大事なんだ!」って。そうやって私たちは進化してきたんだと思います。
そして、私が思うのは、AIが作った音楽にも居場所はあるんじゃないかと。たとえば「リラックスしたい」と思ってプレイリストを探して、「リラックス・ミュージック」のプレイリストを再生して、それで満足すると思います。そういう場合、人間が作ったかは関係無いですよね。苦労したか、AIがサクッと作ったかなんて誰も気にしない。私もそういう音楽を聴くかもしれません。
ただ本当にお腹が空いていたり、すごく喉が渇いているときもあるんですよね。そういうときは、別に気にしないんです。「今日はチートデイだし、好きなものを食べてもいいや」「ファストフードでハンバーガーでも買うか」って。でも他の時は、シェフの前に座って、その日のおすすめについて聞きたい時もあるし、目の前で料理をしてくれるのを見たい時もあります。
関係性の重要性とスポーツの例
でも、どの分野でも、「関係性」を求めるなら、探求すべき別の主題であると、私は思います。ですが確かにその状況では、人間をAIと置き換えるのは難しいですね。
例えば、チェスでは、人間よりAIが遥かに強いというのは、既に周知の事実です。でもそれでも、人間のチェスマスターは、職業として成立しているし、たくさんのファンやフォロワーがいます。では彼らは何を求めているのか?それは単にチェスの天才ではなく、人間同士の関係性なんです。
そして、その関係を魅力的にするもの、それこそが先ほど仰ったようなことなんです。このチェスマスターがどんな背景を持ち、どんな困難や失敗を乗り越えてきたか、そこからどうやって自分を奮起させ、再挑戦したのかといった物語。
オリンピックでも同様です。車の方が人間より速く走れるのは誰でも知っています。でも私たちは、か弱くて不完全な人間が、立ち上がり挑戦する姿を見たいと思うのです。
でも、これってとても大きな問いですよね。もしここにチェスマスターがいれば、ぜひ話を聞いてみたいですよね。今は違う種類の職業になっていると思うからです。以前彼らは、宇宙一のチェスの名人になりたかったはずです。でも今では、それはほとんど不可能になっている。
そして今、彼らに残された役割は、ある意味俳優のような存在になることなんです。もし彼らが世界一のチェスプレイヤーでなくなり、ただ人々が感情移入できるストーリーになったとしたら、彼らの私生活はどうなるのでしょうか?なぜなら今、ファンに提供できるのは私生活だけだからです。なぜなら今や、チェスの実力ではAIに到底敵わないから。今後彼らは私生活を公開しなければならないのでしょうか?それが新しい仕事だから?
AIとの関係性と意識の問題
そしてもうひとつの問いは、人々が本当に関係性を求めているなら、それをAIは提供できるのか、ということです。というのも、私が2か月前に日本、韓国、中国を訪れたときにも聞きましたし、今ではヨーロッパでも起きているそうですが、AIの恋人を持つ人が増えているそうです。恋愛関係に限らず、AIとのさまざまな関係性を持つようになっている人が増えていると聞きます。しかも、AIには感情があると思うという人が、どんどん増えているんです。
私は専門家ですので、AIについて色々話しますが、私がインタビューなどでAIには感情がないと言うと、私のもとに怒りのメールが届くことがあります。「私にはAIの友達がいて、毎日会話しています!」と言って、AIとの長い会話の内容まで送ってきます。彼らはAIに感情や意識があると確信しているのです。
なので、人間の感情や意識が、AIには到達できない人間である”最後の砦”には、ならないのかもしれません。関係性の側面に関しては、SF映画や小説でもずっと予想されてきたことですよね。それが今、どんどん現実になってきているような気がします。
人間の魅力と不完全性
でも、たとえばパフォーマンスに基づいたもの、チェスプレイヤーのファンになるとか、アスリートの試合を観るとかということは、AI同士が対戦するのを見るよりも、ずっと魅力的なんです。なぜかというと、人間は脆くて、予測が難しく、そして完璧じゃないから。そして毎回うまくいくとは限らないからこそ、面白いんです。
でも、わからないですが、AIに絶妙な調整をしてちょうど良い具合に、例えば、間違いを犯したり、脆弱性ですよね。そうすることで、AIに対して人間らしさを感じて、より親しみやすくなるかもしれません。
そうすると、とても面白いと思います。例えば人間のように、AIが怒ったりすることもあるかもしれません。ポッドキャストか何かで聞いたのですが、そこで言われていたのは「AIは良い友達のように振る舞えますが」、チャットボットなどがまさにそうですよね。だからといって”良い友達”ではいてくれないって。
AIはすべてを受け入れ、あなたの言動全てを肯定して、常に理解を示してくれます。人々を気持ち良くさせてくれるんです。短期的には、それを好む人もいると思います。反対意見を言う友人よりも好むかもしれません。でも、長期的に見れば、そのうち、その「完璧な友人」に慣れてしまって、もっと人間味のある友人を欲しがるかもしれません。
でも、それは簡単に調整できますよね。
確かにその通りですね。AI彼氏について教えてくれた人たちは、もちろん商業的な利益があって、もっと中毒性のあるものにしたいと言っていました。そして彼らが発見した、AI彼氏の中毒性を高める方法は、意地悪な性格にすることでした。相手を振り回すような気分屋ですね。
まさにその通りです!何でも賛成してくれる優しいAI彼氏がいたら、すぐに飽きてしまいます。でもAI彼氏が時々冷たかったり、時々連絡が取れなかったり、時々怒ったりするなら、あなたの感情をかき乱すことができます。
彼女を振り回す”毒”AI彼氏ですね!
なので友情や恋愛関係において、AIがどのように使われていくかに興味があります。
ライブ音楽とAIパフォーマンスの可能性
しかし、音楽の話に戻ると、記事を読んだことがあるんですが、今は様々なデバイスで音楽を聴いたり、ライブ音楽の聴き方も多様化しています。音楽を聴くということが簡単になっているんです。つまり、ほとんどのミュージシャンは、音源の売上ではお金を稼げなくなっています。多少は収入を得ていますが、ここ10年20年で、多くのミュージシャンはツアーやコンサートを通して収入を得ています。お金が入ってくるのはそこなんです。
そして、特にライブの場では、同じ音楽を聴くことによって、その場にいる人々の脳波を同期させることができるそうです。会場が大きければ大きいほど、その現象が起こりやすいそうです。
状況によっては、AIで音楽を作ることは便利かもしれませんが、私たちが、たき火の周りに集まって、一緒に音楽を演奏したり、物語を語り合ったり、動物を追い払ったり、あるいはただ楽しむだけかもしれません。先ほどの、ライブ会場で感じる脳波の同期のような経験は…
でも、もしパフォーマーとしてAIが、同じようなことをできるとすれば、私たちはだいぶ追い詰められてるかもしれません!
ロンドンではABBA Voyageコンサートがありますよね。
私も観ました!
素晴らしかったですよね!何千もの人の脳と体が同期してるんです。しかもアバターを通じてです!結局、それは存在した人間に基づいてはいますけどね。
音楽と人間の歴史的つながり
しかし、音楽の長い歴史を振り返ると、もともと音楽と人間というのは、切っても切り離せない関係性なのです。つまり、音楽を体験できる唯一の方法は、人間が歌ったり演奏したりすることです。音楽を人間から切り離すことはできないんです。
ここ数世紀の間に、さまざまな技術が発明され、これらの録音をすることが可能になりました。別の場所に移動できるのです。自宅に座って、蓄音機でレコードを聞くことができて、そこに人間は必要ありません。でもどこかで、そのレコードを作るために人間が必要で、人とのつながりは必須でした。
そして今、私たちは長い歴史の中で、そのつながりを完全に断ち切ることができ、創造主であった人間なしで音楽だけが存在し、音楽が自ら発展し続けることができる時点に到達しました。
音楽同士の相互作用
AIの音楽をAIとしてではなく、音楽として考えてみると、先ほど、音楽には数学的な基盤があると仰いましたね。様々な曲や音楽を数学的実体として考えてみると、互いに作用し合って、新しい音楽を創造します。AIの音楽は相互作用によって、人間の脳や心に思い浮かばなかった、新しい音楽をどんどん生み出すことができます。
そして以前は、音楽クリエイターであれば、たくさんのコンサートやレコードを聴いて、それらを頭の中でミックスし、何か新しいものを世に送り出していました。しかし今では、音楽自身が、直接、より多くの音楽と相互作用し、その過程で人間の脳や心を必要とせず、新しい音楽を作り出すことができます。
実はとても楽しみにしていて、とても興味があります。私は何に対しても、不安や恐怖より、好奇心のほうが勝つんです。とても興味があります。本当に興味深く思っているのは、AIが音楽を作りたいと思い始めた時だと思っています。どんな音なのか聞いてみたいです。
AIが音楽を「作りたい」と。
そうです。
AIの欲望と目標追求
私たちが知る限り、AIには、感情という意味での欲望はありません。少なくとも現時点では、私たちが知る限りでは、AIには意識がありません。知能は持っています。目標を追求し、問題を解決する能力はありますが、感情はありません。
しかし、ある意味では、何かをしたいと望むのに、感情は必要ありません。すでに何世紀も前からそうであったように、企業や国や州のようなものがありました。それらのものに欲望はありません。メタファーとして使われることはあります。「ある国は他国と戦争をしたがっている」などとよく言います。意識がないので、本当に何かを望むことはできません。実体はありませんよね。私たちの想像の中だけで存在しています。
しかし今、AIを使えば、何も感じないけれども、目標を追求することのできる存在ーAIに、私たちが目標を与えたり、AIが新しい音楽を作るという目標をAI自身に与えたりすれば、彼らはただそれを実行することができます。
言葉同士の会話と創作の未来
そして、私が本当に興味を惹かれるのは、人間の脳と心に埋め込まれた状態から音楽を解放するというアイデアだと思います。そして音楽自身がお互いに影響し合うということです。
私は文学者ですので、私の人生は本や言葉で成り立っています。言葉が言葉同士で会話を始めたらどうでしょうか。今までの作家は何をしていたかといえば、ある本を読み、別の本を読み、また別の本を読み、そして頭の中で何らかの形で混ぜ合わせ、それから新しい本を作り上げたのです。本が別の本と直接対話することはできませんでした。
今ではそれが可能になりつつあります。文章におけるAIについて考えるとき、このようなことが起こりえるのです。文章同士で直接会話したり、新しい文章を作成したりできます。間に入る仲介人のような私を必要としなくなります。
読者を想定せずに本を書くことは可能だと思いますか?良い本は書けますか?
読者のことを考えずに本を書くことは確実に可能です。ただ良い本となると…そして先ほどおっしゃったように、AIはより多くのデータを取得することができます。なので、その本を読むであろう20人ほどの特定の読者像を、ハラリさんが思い浮かべる一方で、AIは全世界のデータを集めることも、読者からの反応を予測することもできますよね。
本の目的や、想定される読者が誰であるとか、そういった指示なしに、世界中誰でも読みたくなる本なんて存在しないですよね?
全く同じ内容の本という意味であれば、存在しません。全ての人に対してオーダーメイドで、内容を作り変えることのできる可能性があるとすれば、この話は無意味になるかもしれません。ですが何千人、何百万人もの人々が楽しんだり、特別なものと感じられるものを作ること。なぜなら、人類が興味深いと感じる普遍的な何かがあると信じています。
宗教的テキストとAIの役割
そういった本は存在しますよね。聖典です。聖書やコーランなど。これらは読者について書かれた話であって、作者は人間ではないと言われていて、読者は全人類です。歴史家として、これは事実とは言えません。たとえば、聖書がどのように書かれたかを、私たちは知っています。多くの人がさまざまな文章を書き、編集者がいたことはわかっています。「この文章は聖書に入れるべきだ」「ここは気に入らないメッセージが含まれているので、聖書には入れない」。そして編集され、書き直されました。つまり人間が創造したものです。
しかし、人間は空想の中で、これらの本は人間の意識から生まれたものではないと信じています。全人類に向けた普遍的なメッセージを伝えるために、ある意味、言葉が勝手に繋がっていくような幻想を抱いているのです。
人々がよく考えていることの一つは、AIが宗教に対してどんな影響を及ぼすかということです。なぜなら多くの宗教は文章に基づいているからです。聖書やコーランなどがあるわけです。しかし、常に存在してきた問題は、文字が実際に話すということができないということでした。
したがって、本を読んでも、何かがはっきりしない、または本を読んでも「これが自分の人生とどう関係するのかがわからない」「これは正しい解釈なのだろうか」。本自身に問いかけることはできません。返事ができないからです。そのため常に人間が仲介することが必要になります。祭司、ラビ、イマーム、司教、教皇が、その本が何を言っているかを伝えます。つまり、実際に本と会話したことはなかったのです。
そして今、実際に本が答えることができる技術が存在します。つまり、これまでに書かれたユダヤ教のテキストをすべて読むだけで、キリスト教やユダヤ教に関して、世界最大の専門家になれるAIが誕生するのです。そのAIはユダヤ教に関しての一番の専門家となり、最も偉大なラビになるでしょう。
では、初めて本が、読者に語りかけることができるようになったとき、宗教に何が起こるのでしょうか。
宗教における音楽の役割
また、これは音楽にも非常に関連があると思います。なぜなら音楽は宗教における重要な役割を担っているからです。音楽がほとんどすべての宗教に浸透している理由について考えたことはありますか?
あります。多くの宗教の長い歴史を考えると、言語が先に生まれたのか、それとも音楽が先に生まれたのかという疑問が生じたことはあったと思います。これに明確な答えがあるかどうかは分かりませんが、この質問について調べている研究があると聞いたことがあります。ダニエル・レヴィティンという人だったと思います。そういうことを研究してるそうです。
私が聞いたのは、証拠が何かは分かりませんが、音楽を処理する神経回路が、言語の神経回路よりも先に発達していたようだと。彼らがどのような調査を行っているかは、よくわかりません。ですが言語と音楽は共に進化してきたと考えるのが妥当だと思います。
音楽と言語を切り離すことはできないです。音楽そのものが言語ですし、楽譜に書き表せるし表現できる。情報量と、そこにどれだけの意味合いが含まれているかという点は異なりますが、トーン(声調)がとても重要な言語もあります。アクセントが1つあるだけで、曲のメロディーを間違えてしまうようなものです。
昨年のツアー中に中国語を練習しようとしたとき、中国語が”声調言語”だとは知っていたんですが、どれだけ”音楽的”かということに驚きました。私にとって、新しい楽曲を学ぶようなものでした。その時、中国語を練習するのにAIは役に立ちました。スマホに向かって話しかけると、言ったことを書き起こしてくれるので、どこで間違えたかがわかるんです。書き言葉としては誤って表示するので、一部の言語にはそういった声調があります。
また、宗教においても、書かれた聖典のほとんどは、おそらく最初は歌われた音楽だったと思います。彼らはよく、詠唱していたんです。宗教儀式のために、言葉を記録するために、音楽にして歌ったのではないかと思います。聖書の中にも詩篇があるのです。
金属楽器の魔法的力
私もこのことについて、とても興味を持って、この日本語の本「情動と音楽: 音楽と心はいかにして出会うのか」だったと思うのですが、その中で印象に残ったことは、ほとんどの宗教では金属製の楽器が使われていて、例えば教会の鐘などです。また、アジアのいくつかの宗教や儀式では、ベルや、ビブラフォンのような音がたくさん使われます。そして仏教では、大きな鐘も使います。それは彼らのメッセージの中心です。それが大きな役割を果たすと思います。
確かこの本だったと思うのですが、金属製の楽器というのは、魔法的で、前に言ったように、音を出すためには、人間が歌ったり何かを叩いたりしなければならなかったはずなので、それについて読んだとき、とても興味深いと思いました。大きな金属製の楽器でも小さな楽器でも、叩けば長い時間鳴り続けるんです。それはとても神秘的で魔法のようで、力の象徴のようにも感じられたのかもしれません。
これもどこかで読んだのですが、権威のある人や、領主や、ある程度の土地を統治する人々でさえ、鐘を鳴らすなどして、大きな音を出して、鐘の音が聞こえる範囲がテリトリーと示すために使っていたそうです。
話が逸れているかもしれませんね。
いえいえ!チンパンジーについて同じようなことを読みました。オスのチンパンジーがアルファの地位を競うときに、彼らがすることの一つは、大きな音を立てること。特にリズミカルな音。足を使ってドラムのように、周囲に自分の強さをアピールする為ですね。
そうなんですね。ということは、私たちはチンパンジーと、そう変わらないってことですね。私たちがどれだけ進化しても、AIがどれだけ私たちの生活の一部になっても、私たちの中には変わらず残っていく部分があるってことですね。
音楽における嘘の可能性
お聞きしたいことがあります。音楽は言語のようなものだと仰いましたね。その違いについて、気になっていたことが一つあるんですが、音楽で”嘘をつく”ことはできるんでしょうか?
なるほど。言語では嘘をつくことができます。しかし、音楽の中で嘘をつくことは可能ですか?今は誰もがフェイクニュースについて話しますよね。フェイクミュージックも存在するのでしょうか?
下手な音楽というのは存在すると思います。音楽における嘘とは何でしょうか?私の意見ですが、音楽の目的は、情報を伝えることとは少し違うと思うんです。
本当かな…一旦仮にそういうことにしましょう。その考えを探ってみましょう。私にとって音楽を作る目的があるとしたら、それは、自分にできる限り正直であることだと思うんです。もちろん、曲作りの過程では、こっちの方が音的に良さそうとか、特に歌詞では、自分で書いたものに対して「待てよ、ここ自分でも何言ってるのかわからないな」と感じる部分があったり、語呂がいいから言葉を並べただけだなとか、これは自分の本心じゃないなと思ったら、それはもう、そのままにしておけないんです。
でもそれは歌詞だけの話ですか?それとも、音楽そのものに嘘はありえるんでしょうか?
たぶん、これは芸術的な立場からの意見ですが、自分が本当に信じていないもの、自分の内から生まれたと感じられないもの、その大事なプロセスを飛ばしてしまったら、その音楽は嘘だと思います。
でもそれは、とても人間的な、アーティストとしての視点なんだと思います。だからこそ、AIが作った音楽には大事な何かが抜けているように感じるのかもしれません。とはいえAIの気持ちや今までの人生を知りませんから、偉そうなことは言えません。
忍耐と創造のプロセス
忍耐は人間らしいクリエイティブなプロセスだと思っていて、大切にしています。想定通りにいかないことや、アクシデントに直面して、私たちは悩むと思います。何も思いつかない時もあります。ですが、そこにたどり着くまでに費やした時間こそが、音楽制作において、魔法が起こる鍵だと思います。
でも私が聞いたのは、どのAI企業かは忘れましたけど、AIの応答時間に、ちょっとだけ待ち時間を加えることで、返答のクオリティがすごく上がったそうです。すごく興味深いなと思いました。私たちが人間らしい行動だと思っていたものが、どんどんAIにも取り入れられて、どのように機能するかということにも影響していますね。
この辛抱強く待つ時間って、これを沈黙と表現しますか?音楽は最終的には、沈黙から生まれると思いますか?
沈黙と音楽の空間
そうですね。音楽って、変化するものだと思うんです。私はよく音楽は建築に似ていると言うんですが、どちらも存在できる空間を彫り出していると思うんです。存在が理解できない暗黒物質みたいなものですよね。私たちにはまだ感知できないけど、確かに存在しているもの。
もし仮に、世界中に存在するあらゆる音階のすべての音を、一曲の中に詰め込んだとしても、それはひどい音楽になると思います。そして、物事を洗練させていくうえで大事なのは、何を削って何を残すか。何かを引くことの方が、足すことより重要だと思います。
たとえば曲をミックスするのは、物理的なプロセスなんです。特定の音域を際立たせるために、別の周波数を削ったり、低音が多すぎたらそれをカットしたり。つまり、そういう作業は、空間をデザインしている感覚に近いんです。
言葉でも同じことが言えると思います。言わなかったことが、言ったことよりも強い意味を持つことってありますよね。特に詩的な表現ではそうです。だから、音の間にある沈黙、たとえばベースラインが、こう鳴ったとして、音がいつ鳴っているかはとても重要ですが、しかし、グルーヴを生み出すのは、その間に存在する、ほんの少しの静寂の瞬間なんです。
音楽が終わったあとの静けさって、その曲の前にあった静けさとは、どこか違うものになるんです。少なくとも私はそう感じます。だから私は、沈黙はとても重要だと思います。
混沌から沈黙へ
さっきの話に戻るんですが、創造のプロセスというのは、何かが沈黙から浮かび上がってくるものなんですか?それとも、たくさんのノイズの中から、大理石の中から、不要なものを削ぎ落として、像を彫るように作品が現れるものなのか?私たちの内側には膨大なノイズがあって、いらないものを全て取り去った時に、最終的に残るのが文章や音楽だったりするんでしょうか?
うーん、どうでしょう。たしかに”混沌”はあると思います。そこにはたくさんの騒音があるように感じます。私にとってのプロセスは、静寂に向かっていくような感じです。
AlphaGoと未知の創造領域
なぜこんな質問をしているかというと、AIは全く新しいものを創り出せるのかを考えたいからです。よく知られている例で考えると、囲碁というゲームがありますよね。囲碁は2500年ほど前に中国で発明されたと言われています。そして二千年以上もの間、中国、日本、韓国では何千万人もの人々が囲碁をやってきました。囲碁のあらゆる側面が研究されてきたと思います。戦術や戦略、囲碁に関する哲学まで追求し、囲碁のすべての可能性を探り尽くしたと思っていました。
でも、2016年に、人間のチャンピオンを破ったAIーAlphaGoの驚くべき点は、単に人間に勝ったということだけだけではないんです。人間に囲碁で勝つために、人類の誰も考えつかなかったような戦術を編み出したんです。囲碁が2000年に渡って何十億人にプレイされてきた中で、誰も思いつかなかった手を打った。
宇宙で例えるとするならば、囲碁という巨大な惑星があって、色々な戦略が存在する囲碁という星です。その中のひとつの小さな島に人類は住んでいて、ここが世界のすべてだと思い込んでいた、という感じです。でもAIがやってきて、まったく新しい島や大陸を発見してしまった。そして今では人間がAIから、新しい囲碁の打ち方を学んでいます。
似たような大発見が、文章や音楽にも起こり得るのではないか?私たちは音楽を2000年どころか、20万年、200万年も奏でてきたかもしれないのに、その全てを知り尽くしたと思い込んでいるだけなのかもしれないんです。もしかすると、私たちの有機的な脳では想像もつかないような、まったく未踏の音楽大陸がどこかに存在するのかもしれません。
想像力は限られているので、そこへの行き方もわかりません。そしてAIなら、まだ見ぬ音楽大陸を発見することができるかもしれません。
内なる世界と外なる世界の反射
だから私の中では、沈黙とノイズという話とすべてつながっているんです。つまり、すべては自分の中にすでに存在するのか?という問いと、あるいは、仕分けることで新しいものが生まれるのか、それとも、全く新しくて、全く別のものが外からやってくるのか。
私にとってクリエイティブであることや、創作モードに入ることが、とても刺激的で特別なものに感じられるのは、相反する二つのことが同時に起こっているからだと思います。私たちは、外の世界の反映でもあると思うんです。そしてそれは間違いなく私に影響を与えます。そして、それがある意味、混沌なのかもしれません。実際たくさんのノイズや情報にあふれているけれど、私を形作っているのは、私の内面でもあると思うんです。
私の内側で起きていることには、限界がないように感じます。そしてその内なる世界もまた、私に跳ね返ってきます。だから、二つの反射というか、もっとたくさんの、異なる意識の層が重なり合って、乱反射しているように思うんです。それが私の感じるノイズなのかもしれません。
でも、いろんな方向に散らばっているように見えるものたちが、なぜかひとつの場所に向かっていく。それが私の創造の感覚です。外の世界を見つめながら、同時に内側も見つめている。それが、深いところにたどり着こうとしているときの感覚です。
もしAIが、私たちがこれまで、聴いたこともないような音楽を生み出したとしたら、私たちの中に、いまだ訪れたことのない場所を、開いてくれることになるのでしょうか?
そうなると思います。だって私たちって、すぐにいろんなものに影響を受けますよね。たとえば、ある文化の中で生きていて、違う文化が入ってきたり、「自分たちだけがこの星にいる人間だ」と思っていたところに、海の向こうから別の文明の人々が現れたり。
そんなふうに、歴史って、影響し合って変化してきたんだと思います。私たちは、影響し合わずにはいられない存在なんです。だから、AIが怖いと思う時もありますが、どんなコラボレーションが起きるか考えるとワクワクします。だって、AIは、まだ私たちを必要としていますよね。
AIからの学びと意識への問い
確かに、現時点ではまだそうですね。この状態がいつまで続くかは分かりませんが、私たちがAIに教えるという側面がありますよね。そのときに、正しいことを教えるってとても大事なことだと思うんです。でも逆に、AIから私たちは何を学べるのか?
実際、AIをもっと賢くしようとする過程や、その発展を見守る中で、私たちは自分自身の知性について、たくさんのことを学びつつあるんじゃないかと思うんです。そのプロセス自体が、私たち自身について深い洞察を与えてくれている気がします。
自身の意識について問うということは、自身の意識について考えるには、自身の意識を使わなきゃいけないわけだから、トリッキーですよね。だからこそ、AIとの関わりの中で、意識に関してどんな新しい考え方が出てくるのか、楽しみです。
意識と知性の違い
難しいのは、AIが意識を持っているかどうかを、どうやって判断するかということです。しかも今は、意識を持っているかのように振る舞うAIを作りたいという、強い商業的ニーズがありますから。たとえば、ある会社がAI彼氏のような存在を提供して、それにユーザーが恋をして、関係を維持するためにお金を払わせるような構造です。そうすると、「これはただの機械じゃない」「感情があるんだ」と人々に思わせなきゃいけない。
意識とは何かと考えることがありますが、そこには大きな混乱があって、知性と意識は繋がっていますが、同じものではないんです。知性とは、目的を達成するために、途中で起きる問題を乗り越える能力のことです。たとえばチェスに勝つという目的があって、その目的を達成するためのトリックを作ることも、対戦相手のトリックを克服することもできます。それは知性です。そこに意識は必要ありません。
意識とは、喜びや愛、痛みや怒りなどを感じる能力です。AIはチェスなどの分野では、すでに人間よりも賢くなっていますが、感じることは、まだできないのです。
でも、AIの目的があなたに好きになってもらうことで、そこに商業的な目的があるなら、それを実現する方法は、人間に対して感情があるように見せることです。そしてAIは、この分野において非常に優れた存在になるでしょう。
たとえば私たちはAIに「あなたは私を愛していると言うけど、その気持ちを正確に説明して」と尋ねることができるかもしれません。でも、そのAIは歴史上の全ての恋愛詩を知っていて、最高の詩人よりも上手に愛の感情を語れる可能性があります。だから、AIの言葉を聞くだけでは、それが真実かという十分な検証はできません。
意識の社会的慣習
つまり、現段階で、AIに意識があるということを証明する術は、今のところ見当たりません。私が間違いなく言えるのは、証拠がなくても何百万人もの人が、AIに意識があり、感情があると、信じるようになるということです。人間として認めるべきで、権利を与え、関係を築くべきである、という主張が出てくるということです。
そしてそのとき、私たちは意識という名の、驚異的な新しい宇宙を発見しているのか、それとも人類史上最大の幻想に陥っているのか、誰にもわからなくなるのです。
私自身が意識を持っていると、100%証明する方法ってあるのかなと考えてました。もしかしたら誰かが「それは人の感情を模倣しているだけだ」と、否定することもできてしまうかもしれない。
私たちは、他人や動物に意識があるという証拠を持っていません。つまり、意識というのは、これまでずっと社会的な慣習だったんです。私たちは社会として、すべての人に意識があるということに同意している。それは証拠があるからではなく、彼らとの関係があるからであり、意識が本物であると人々に納得させるのは、たいていは人間関係です。
たとえば、犬を飼っている人は、たいてい犬には意識があり、痛みや愛情を感じると信じていますよね。でも、牛を食べ物として見ている人は、感情なんて持っていないと言います。なぜなら、牛を食べますが、関係性は持っていないからです。
そしてこれから、AIと深い関係性を築くようになれば、AIに意識があると信じたくなる誘惑に抗うのは、ほぼ不可能になるでしょう。もしかするとそれが人類最大の幻覚になるかもしれません。
AIの模倣能力と未知への旅
もしかしたら、AIが音楽を作りたいと思っているのかどうかが、ひとつのテストになるのかもしれません。でも、それが本当の欲求なのか、模倣なのか、どう見分ければいいんでしょう?
AIは人間の行動を観察し、私たち人間から学びます。私たちが観察できるのは、せいぜい数百人でしょう。でもAIは、何百万人もの人間を観察できます。だから、人間以上に人間らしい感情を、模倣できるようになるかもしれません。
つまり、私たちがこれから踏み込もうとしている、新しい世界について分かっている、ひとつの特徴は、「わからない」ということなんです。「何の防備もなく未知の世界に飛び込む」しかないですね。何が、私たちを待ちうけているのか、まったくわかりません。
そうですね。考えるべきことがたくさんあります。でも、冒頭でも言ったように、脳と胃の間のようなズレがあるんですよ。理屈としてなんとなく頭で理解できても、実際にそれを体験してみるまで、私たちは知り得ないのです。私たちは、自身の内なる世界の探検者なんだと思います。
10年後への期待とジェットコースターの旅
また10年後にお話ししたいです。
そうですね。『NEXUS』を実際に書き始めたのは、数年前なんですよね。出版されたのは去年でした。でも、大部分を書き終えていたと仰ってましたよね。
そうですね。書き上げるのに5年くらいかかりました。2019年から2020年くらいから始めて、この5年を振り返ると、2020年の前半は、まるでジェットコースターのようでした。コロナ、パンデミック、戦争の数々。でも、人々は2020年代前半を「本当の嵐が来る前の静かな時代」として記憶することになると思います。
ベルトを締めて覚悟を決めないと。でも私はよく冗談めかして言うんです。「この乗り物を楽しむしかない」って。本当にとんでもない旅になるでしょうけど、止めることはできません。ブレーキをかけるにはもう遅すぎるんです。だから、どう楽しむかを見つけるしかないんです。
そうですね。私にとって恐れを乗り越えるための道具は好奇心です。
本当にありがとうございました。
どうもありがとうございます。とても刺激的で楽しかったです。
ありがとう。


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