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29歳の時、わしはすべてを手に入れとったんや。この世で一番美しい女性が結婚してくれるって言うてくれて、株取引で好きなだけ金を稼げるようになって、大きな邸宅にプールもあってな。でもわしは惨めで惨めで惨めやったんや。完全にうつ病になってもうてな。
[音楽]
幸せが人間の自然な状態やと思うんやったら、なんでこんなにたくさんの人が不幸なんやろか。残念ながら、悲しいことに、ほかに言いようがないんやけど、わしらは自ら選んで、別の方向に向かう人生を送っとるんや。わしらは非常に有能な生き物やからな。今日1000杯のコーヒーを作るのが今日の仕事やって言うたら、できるだけたくさん作ろうとするやろ。今日は子どもと過ごすのが仕事やって言うたら、それを実現させる方法を見つけるはずや。
わしは思うんやけど、現代社会は第二次世界大戦と大恐慌の後、わしらの曾祖父母が、二度と苦しまんようにするための保険証書みたいなもんを手に入れるのが人生で一番大事やと感じ始めたんやないかな。そうすれば自分らも、子どもらも、孫らも大丈夫やって。そんなメッセージが何世代にもわたって受け継がれてきて、生まれた時から、人生を通じて一生懸命働いて金を稼ぎ、成功しようとし、安全を確保しようとせなアカンって言われ続けてきたんや。そして面白いことに、わしらが望むようなことをすべて達成したら、そん時になって初めて幸せになれるって。
そやけど、本当にこの考え方をよう調べたことあるか? 一生懸命働いたら、たくさんの金を稼いだり成功したりできるっていうのは確かに本当やけど、成功したらそれで幸せになれるんかって。わしらの中には、金持ちで有名で、金にまみれてパパラッチに追いかけられとるのに、臨床的にうつ病になっとる人がようけおるってことを見逃しとるんやないかな。真実は、一生懸命働けば成功するかもしれんけど、成功が必ずしも幸せにつながるわけやないってことや。わしらは間違ったもんに優先順位をつけて、その優先順位に合わせたもんを手に入れてしもうたんや。
人間は信じられへんくらいすごいってのは面白い考え方やな。優先順位や目標が与えられたら、それを達成するか、少なくとも達成に近づくか、その方向に進んでいくもんやからな。イギリスやアメリカにおるわしらは、もっと頑張らなアカン、もっと努力せなアカン、もっと働かなアカンって考えに囲まれとる。そうすればもっと達成できて、もっと稼げて、そのお金でもっとできるようになるからやって。もちろん、自分の生き方をよう考えて選ばんかったら、その流れに巻き込まれてまうやろな。それがわしらの周りにある潮流やからな。
これは本当に、わしが以前言うたことにつながるんやけど、25歳の時にはなんもなかったのに、29歳ではすべてを手に入れたって。それについてもう少し詳しく話してもらえるかな。
ああ、これは珍しい話やないんや。ただ、わしの場合はめっちゃ早く起こっただけやな。どう言うたらええんかわからんけど、わしは29歳で中年の危機を迎えたんやと思う。
中年の危機っていうのは、自分が達成しようと思うてたことをすべて達成して、それから立ち止まって「これで終わりか? これが人生のすべてなんか?」って思う時のことやと思うんや。ほとんどの人は信じてくれへんやろうけど、わしはエジプトの公立学校と公立大学で育ったんや。だからわしはな、IBMエジプトで最初の仕事を始めた時、わしの最大の夢は17年後にセールスマネージャーになることやったんや。
そしたら人生が信じられんくらい素晴らしい旅に連れて行ってくれてな。29歳の時には、すべてを手に入れとったんや。この世で一番美しい女性が結婚してくれるって言うてくれて、賢くて優しくて愛情深くて、素晴らしい子どもを2人産んでくれた。好きなだけ金を稼げるようになった。今日みたいなツールがなかった時代に、株取引をしとったんや。自分でコードを書いて、金を稼げる分野を見つけ出して、本当に欲しい時に金を稼げるようになったんや。大きな邸宅にプールもあってな。
でもわしは惨めで惨めで惨めやったんや。完全にうつ病になってもうてな。これは珍しいことやないと思う。学校を卒業して、週に100ポンド稼いだら幸せになれるって思うやろ。でも週に100ポンド稼いだら何が起こるかっていうたら、「ごめん、200が欲しかったんや」って言うんや。そして200稼いだら今度は何て言うか。「いや、住宅ローンが必要やから1000稼がなアカン」ってな。
そうやって走り続けるんや。走り続けて、わしらは決して立ち止まらん。状況が変わったことに気づかへんのや。ここが本当にまずいところやな。もちろん若い時には、自分を確立しようとしたり、スティーブン・バートレットが言うところの「スキル資本」を築こうとしたりする時期やから、ちょっと頑張らなアカンし、もっと打ち込まなアカンし、自分の居場所を見つけようとせなアカンのはわかる。
でも状況が変わってきて、ほとんどの人にとっては基本的なニーズが満たされた時に、どうやって生きることにもっと興味を持つようになって、稼ぐことに興味を持たんようになれるんやろか。わしが思うに、人々が気づかん大きな大きな大きな間違いは、わしらは億万長者として人生を始めるってことやな。
つまり、80歳まで生きるとして、わからんけど、20億回くらい心臓が鼓動すると仮定しよう。わしらは20億回分の心拍数のクレジットを持って人生を始めるんや。そして平均して1秒に60回くらい鼓動するから、1秒が過ぎるごとに、そのクレジットを使って人生の他のことと交換しとるんや。
今朝、わしらが録音を始める前に1時間あったんやけど、インスタグラムをスクロールするのにその時間を使うこともできたし、友達を抱きしめてスケッチしたり素晴らしい時間を過ごすのに使うこともできた。どっちがわしの資産をより良く使うことになるやろか。
わしは若い頃、心拍数を使って人生の分や時間を金と交換しとったんや。最高に美しい妻と最高に素敵な子どもらがおって、快適な生活を送っとったけど、実際には心拍数を使って彼らと過ごす時間と交換してなかったんや。そしたらどうなるか。空っぽな気分になって、だまされたような気分になるんや。
これは本当に繰り返されるテーマやな。5、6週間前にジョニー・ウィルキンソンがあんたの椅子に座っとったけど、あんたみたいに、彼も人生の早い段階で危機を迎えたんや。24歳の時には、すべての夢を叶えとった。イングランド代表としてプレーして、ワールドカップ決勝で勝利をもたらす得点を決めたんや。これ以上のことはないやろ。
そやけど、その瞬間に彼は空虚感を感じたんや。翌朝、起き上がれへんくらいに落ち込んで、不安を感じて、その後もずっと不安や落ち込み、無関心に悩まされたんや。国中のどの子どもも「ああ、あれができたら幸せになれる」って思うようなことを達成したのに、やな。
これはよくある話やな。なんでやと思う? わしら自身、ジョニー・ウィルキンソン、わし自身、そして多くの人が、夢を達成してから初めて、その夢が自分を幸せにしてくれへんってことに気づくんやろか。
まず、夢は決して幸せにしてくれへんってことやな。幸せとは不幸せがないことなんや。わしらは幸せな状態で生まれてくるんや。わしら二人とも、それについてはいつも話し合っとるな。どの子どもを見ても、安全で、食べ物があって、愛されとって、人生に何も問題がなかったら幸せやろ。
おむつが濡れたら不快を感じて、不幸せになって泣くやろ。おむつを替えたら、また幸せに戻るんや。これが人間の現実やな。ちなみに、幸せってのはパーティーに行って飛び跳ねることやないで。それは興奮や高揚感や快楽や楽しさや。これらは別の感情やな。幸せっていうのは、落ち着いた平和な満足感のことや。「わしは人生に満足しとる」「基本的に幸せや」「わしは平和や」「この瞬間がずっと続いてほしい」っていう感じやな。
そういう定義の幸せは自分の中にあるんや。それを台無しにすることしかできへん。逆なんや。石ころや重荷を山ほど積み重ねて、それに覆われてしまうことはできるけど、それにアクセスできんようになるだけやな。逆のことが起こらなアカンのや。幸せになるために何かを達成する必要はない。ただ不幸せになるのをやめるだけでええんや。
よく、ジムに行って筋肉が痛くなるやろ。痛いけど、それでええと思えるやろ。実際、その痛みを楽しんでるかもしれへん。痛みやけど、同時に平和で幸せな気分になれるんや。
アリが去ったのは簡単なことやなかった。でも、アリが去った後、「幸せを解決する」が32カ国語で出版されて、そのうち20カ国くらいで国際的なベストセラーになったんや。本の形だけやなく、何百万人もの人に届いたんや。あんたも知っとるように、本だけが伝える手段やないからな。
2018年に娘と座って、こう聞いたんや。「これを聞いたらすごく悲しくなるかもしれんけど、本当に聞きたいんや。もしアリに『あんたが死んだら1000万か2000万か3000万人が幸せになる』って言うたら、アリはどう選ぶと思う?」娘は躊躇なく「今すぐ殺してくれって言うやろうな」って答えたんや。
それがアリの本質やったんや。アリは自分を世界に捧げたいだけやった。そして多分、そういうことが起こったんやと思う。わしのインスタグラムのフィードを見せたら、「アリを愛してる」って言うてくる人の数の多さに驚くやろ。
もし自分の息子に成功してほしいと思うなら、何千人もの人が「アリを愛してる、会いたかった」って言うてくれるより大きな成功ってあるやろうか。もちろん、アリがここにおって、わしらでこの会話をしとる方がええに決まっとる。でも人生はそういう風には進まへんのや。同時にマンチェスターとロンドンにおるっていう矛盾は与えてくれへんのや。
選択せなアカンのや。そして強制的にロンドンにおらなアカンなら、ロンドンで思いっきり生きなアカンのや。わかるか?
多くの精神的な信仰、特にヒンドゥー教やイスラム教で最も顕著なんやけど、降伏っていう考え方があるんや。弱さの形としてやなくて、究極の強さの形としての降伏やな。
線路に電車が来とって、それに轢かれたら死ぬってわかっとるのに、「でも線路の上に立ち続けるで」って言うのは絶対にアホなことやろ。電車の方が自分より強いっていう人生の本質に降伏するっていう考え方が、人生を歩む賢い方法なんや。
そやから、アリが去ったのはめっちゃ痛いことやけど、去ってしもうたんやっていう事実に降伏せなアカンのや。これについて執着して、これから50年間ずっとその痛みを何度も何度も味わい続けるのは何の意味があるんやろか。
あんたが考え出した幸せの方程式、つまり幸せは出来事とそれに対する認識の間にあるっていうのは、多くのことに当てはめられる素晴らしい考え方やと思うんや。
日常的な些細なことで言うたら、毎日渋滞の中を運転して仕事に行かなアカンとする。もし渋滞がなくて、毎日スムーズに通勤できるって期待しとったら、毎日イライラすることになるやろな。でも「ほとんどの日は誰かが急に割り込んでくるし、時々遅刻するし、渋滞もあるやろ」って考えて行動したら、実際にそうなった時に「ああ、予想通りや。別に気にせえへん」って思えるんや。
そうやな。さらに良いのは、ええポッドキャストかええ音楽を持っていって楽しむことやな。期待を変えることで、突然すべてが楽になるんや。
昨日の晩ご飯の時に、子どもらとこの方程式について話しとったんや。わしのポッドキャストのゲストについて話しとって、「この方程式についてどう思う?」って聞いてみたんや。子どもらは大好きやったな。特に娘はすぐに理解してくれた。まだ9歳やのに、その知恵にはびっくりしたわ。「ああ、こいつはわしに色んなことを教えてくれるな」って思ったわ。
息子も正直言うて、子どもらには生まれつきの知恵がようけあるんや。わしらがそれを聞く気があるかどうかやけどな。
多くの人が誕生日に失望するっていう話をしとってな。家族や友達の中でそういうことがあったんやけど、あんたの方程式で見ると、「誕生日はこうあるべきや」「みんなはこうしてくれるはずや」「あれをしてくれるはずや」って考えとったら、自分で不幸な誕生日を作り出しとるようなもんやな。
そのとおりや。実際にそういうことが起こっとるんや。人々は喧嘩したり、期待したことをしてくれんかったりするんや。自分で作り出した期待によって、そういう状況を生み出しとるんやな。
この考え方は実用的で、そういう状況にはよう当てはまるな。でも、あんたの息子が亡くなった時はどうやったんや? その時はこの幸せの方程式は当てはまらんのか、それともどう当てはまるんやろか?
二つの見方があるんや。一つは、誰かが死ぬっていう期待は100%やろ? みんな死ぬんやからな。親が子どもを亡くすっていう期待はどうやろか。あるいは、虫垂炎の手術が失敗する期待はどうやろか。
正直に言うと、わしは兄に聞いたんや。兄は外科医やったんやけど、アリが亡くなった時に「こんなことが起こったんや。こんなことがあり得るんか?」って聞いたんや。兄は泣きながら「申し訳ないけど、外科医も人間なんや」って言うたんや。「ビジネスで間違えたら取引を失うけど、わしらが間違えたら患者を失うんや」ってな。
もちろん、生命に関わることやから、みんな何度も何度も何度も失敗せんように努力するんや。航空局が飛行機事故を防ぐためにあんなに規制を設けとるのと同じやな。でも、頻繁に起こることやから、まだエラーの余地があるんや。わしはびっくりしたけど、アメリカでは医療過誤が死因の2番目に多いらしいんや。
極端に論理的に考えるなら、今になってやっと言えることやけど、手術で人を亡くすのは予想の範囲内やったんやな。でもそれは方程式の働き方やない。愛する人を亡くした時に苦しむのは、過去のことやなくて未来のことなんや。「これからずっと彼なしで人生を送らなアカン」っていうことについてや。
「これは不公平や。彼にわしの人生にずっといてほしい」って期待を持っとったら、それは電車の前に立っとるようなもんや。人生っていう強大な力を持った電車は、彼を連れ戻してくれへんのや。だから適切な期待を持つっていうのは、「彼は戻ってこない。それに対処せなアカン」っていうことなんや。戻ってこないんや。それだけのことや。
ちなみに、これは色んな形で起こり得たんや。例えば、わしが彼を怒らせて二度と話してくれんようになるってこともあり得た。そっちの方がずっとつらい拷問みたいなもんやったやろな。あるいは、彼がドバイのわしらの近くやなくてボストンにおる時に起こったかもしれん。そしたらもっと痛かったやろな。
本当にそう考え始めると、人生に求めるものに対して現実的な期待を持つっていうのが、まず第一歩なんや。
この期待についてもう一つの見方をするとしたら、わしが一番苦しんだ質問の一つは、父親としてのプライドに関わるもんやったな。あんたもわしも父親やから、子どもらを愛しとるやろ。父親っていう存在は、子どもらを守るもんやっていうプライドがあるんや。
わしはアリをあの病院に連れて行ったんや。正直に言うと、最初の4日間はめっちゃ苦しかった。「なんであんたはそんなことをしたんや? 別の病院に連れて行くべきやった」って自分を責めたんや。これは、父親はいつも子どもを守るスーパーヒーローやっていう、現実的やない期待を持っとったからや。
現実は、わしは子どもを一番近くの、かなり大きくて有名な病院に連れて行ったんや。彼は苦しんどったんや。父親として、わしは彼の痛みを取り除くために、一番近くの適切な場所に連れて行こうとしたんや。その手術をした外科医は、それまでに何百回もその手術をしとったんや。わしはそれを確認したんや。
不幸せや悲しみや怒りや何か否定的な感情を感じた時は、この二つの側面、つまり出来事と期待を見てみるんや。わしの出来事に対する認識は現実的なんやろうか? わしの期待は現実的なんやろうか?
「別の病院に連れて行くべきやった」っていう感情を見た時、それは現実的やろうか? 子どもが苦しんどって、すぐ近くに病院があって、その外科医が何百回もその手術をしとったっていう状況で、父親としてわしに何を期待するんや? わしは占い師やないし、神様でもないんや。
だからわしの頭は自分を責めとるけど、期待は適切に設定せなアカンのや。わしはできる限りのことをしたんや。時には最善を尽くしても、人生は違う決定をすることがあるんや。最後の数分間、あんたがこれを説明しとる間に、わしの頭に思いが浮かんだんや。子どもを持ちたくて必死な夫婦や、子どもがおらん人がおるかもしれんな。その通りや。多くの人が素晴らしい子どもを人生に迎えることを夢見とるやろな。
ある時わしは座って振り返ってみたんや。「彼を失った心の痛みを考えたら、彼を持たんかった方がよかったって思うやろうか」って。答えは「いいや」やった。彼を持てたっていう贈り物のためなら、10倍の痛みでも受け入れるって。
医者を訴えなんだんか?
いいや、訴えんかったんや。期待の話に戻るけど、どの外科医が朝起きて「今日は誰かを殺して自分のキャリアを台無しにしたろ」って思うやろか。
わかるで。でも多くの人の最初の反応は「医者を訴えてやる」「法的費用に2年かけてでも正義を勝ち取ってやる」っていうもんやと思うんや。
わしは正義を手に入れたんや。わしにとって大事やったのは、他の父親たちが同じ痛みを経験せんようにすること、少なくともそういう父親が減ることやった。だからそういう間違いが二度と起こらんように、適切な手順を踏んで調査したんや。
わしはその時、グーグルのかなり上の立場におって、カリフォルニアとドバイを行き来する生活をしとったんや。だからドバイ政府の上層部の人たちを知っとって、すぐに連絡が来て「すぐに調査に入ります。何が起こったのか調べます」って言われたんや。でも大事なのは医者を潰すことやなかったんや。
どうやってその感情を抑えられたんや? 多くの人間やったらそういう感情を持つと思うんやけど。これは、あんたが早くから学んだことが関係しとるんかな? あんたは、すべてのもの、金、車、服、誰もが欲しがるようなものをすべて手に入れた時に、臨床的にうつ病やったって言うとったな。アリがあんたに幸せの本当の意味をたくさん教えてくれたって。
わしには、あんたが幸せを学ぶ訓練をしとって、そしてこの恐ろしい状況、この現実の状況に置かれた時に、学んだことの多くを他の人よりも早く適用できたんやないかって感じるんやけど、それは正しい見方やろうか?
そうやな。すべてのことを完全に学ぶことはできへんけど、だんだん近づいていくんや。わしは変わった方法で本を書くんやけど、どの本も最後の一文から書き始めるんや。「幸せを解決する」の最後の一文は「幸せは真実の中にある。本当に、それだけのことなんや」やった。
これを理解するには多くの説明が必要で、本全体を読まんとアカンのやけどな。でも、自分で作り上げたファンタジーの物語の中で生きて、人生がそれに合わせてくれると期待したら、絶対に幸せは見つからへんのや。
幸せは、実際に起こっとる物語を認めて、それに対処することで見つかるんや。真実は、あの医者は間違いなくわしの息子の痛みを和らげようとしとったってことや。手術室に入る時に「この子を殺してやろう」なんて思っとらんかったんや。
でも面白いことに、間違いは起こるし、その間違いは修正せなアカンのや。わしは「誰も二度とこんな苦しみを味わわんでええように、適切な措置を取った」って言うたやろ。でも面白いことに、わしらの聴衆の何人がわしに同意してくれるかわからんけど、死の定義がこの問題の核心やと思うんや。
この外科医がわしの息子の命を終わらせたっていうんやったら、これは大変な問題やな。でもこの外科医は、わしの息子のこの人生における物理的な形での旅を終わらせたんや。
もし本当の理解があれば、わしはこれを精神的な観点から話すつもりはないんやけど、「幸せを解決する」の13章と14章と、「あなたの頭の中のあの小さな声」でも触れとるんやけど、わしらが生きとるこの物質的な世界では無視されがちな形而上学的な部分に取り組もうとしとるんや。
真実は、現代の世界で根付いとる科学的方法は、「見えて観察できて測定できないものは存在しない」って言うんや。この考え方のおかげで、わしらは今の文明を手に入れたんやけど、同時にこの考え方は間違っとるんや。
「見えて観察できて測定できないものは、科学的方法の対象にはならんけど、存在する可能性はある」っていうのが正しいんや。愛を測ることはできへんけど、わしはそれを感じたことがあるって知っとる。息子の体から切り離されたものが何かを正確に言うことはできへんけど、残された体はアリやなかったんや。アリの本質は物理的なものやなかったんや。
「幸せを解決する」では、これについてかなり科学的な観点から話したんや。科学の問題は、めっちゃ複雑で多分野にわたっとって、その分野を全部まとめんと全体の真実が見えへんってことや。誰も全部の分野をまとめることはできへんけど、簡単な例を二つ挙げるわ。
相対性理論と時空連続体の概念を理解して、空間と時間がすべて既に起こっとるっていう事実を理解したら、時間の矢を認識するためには、わしらが時間の外におる必要があるってことに気づくんや。このスタジオの中におったらこのスタジオを認識できへん。このスタジオを認識するには、外に出て見る必要があるんや。
人間が地球を認識するには、宇宙飛行士になって外に出て、地球を振り返って見る必要があるんや。何かの中におったらそれを認識できへんのや。この主体と客体の関係は時間にも当てはまるんや。時間の矢を認識できるのは、時間の矢の外に存在する場合だけなんや。
つまり、認識しとる部分のあんたは非物理的やってことや。物理的な世界の中には含まれとらんのや。その認識しとる部分をあんたの人生って呼んでもええし、魂って呼んでもええし、精神って呼んでもええ。単に「生命」って呼ぼか。
その生命は、物理学や化学やその他の科学とは関係ない科学の中にあるように見えるんや。唯一の交点は、量子物理学のコペンハーゲン解釈にあるんや。簡単に言うと、生命の形によって観測されるまでは、何も物質的な形では存在せえへんのや。観測されるまでは発生の確率のままで、観測されて初めて確率の波動関数が収縮して現実になるんや。
だからこそ、「森の中で木が倒れて、誰も聞いとらんかったら、音がしたんやろうか」「そもそも木が倒れたんやろうか」「誰も観測してへんかったら、木はあったんやろうか」って言うんや。量子物理学は「ない」って言うやろな。観測されるまでは木がある確率があるだけなんや。
これをビッグバンと量子物理学と一緒に考えてみると、わしらを生き生きとさせとるこの生命の形が、実際には物理的なものを作り出しとるってことに気づくんや。逆やないんや。
ビッグバンは一つの大きな塊が凝縮して、それが爆発したんやろ? 爆発して地球を形成したのが43億年前で、生命が誕生したのが200万か300万年前やとして、それが存在するためには、その何年もの間に観測される必要があったんや。
137億年前に物質が収縮して膨張・爆発するのを観測する生命がなかったら、その膨張はそもそもなかったんや。だから、物理的なものの前に生命が存在したってことや。生命はいつも物理的なものの外におるんや。
本当に大きな視点で見ると、生命は死の反対やないってことに気づくんや。死は誕生の反対なんや。もう一度言うわ。死は生命の反対やなくて、誕生の反対なんや。あんたは誕生っていう門を通ってこの世界に来て、死っていう門を通ってこの物理的な世界を去るんや。
そして生命は、前も、間も、後も、ずっと存在するんや。生命が時空の外に存在するなら、わしとアリのどっちが先に生まれたんや? どっちが先に生きたんや?
答えは、わしもアリも永遠に別の形で生きとるんや。アリの物理的な形はわしの後に生まれて、わしの前に朽ちたんや。でも現実は、アリの本質、アリの意識、アリの生命、魂や精神や何て呼んでもええけど、それは物理的なものに関係なく存在するんや。
この理解があれば、突然まったく違うことが起こるんや。突然、わしの本質は今まさにわしの息子の隣におるってことに気づくんや。人々が理解してくれるかどうかわからんけど、わしは頻繁に彼と話すんや。かなり予測可能な方法でな。わしは科学者やから、それがウーウーな話に聞こえるかもしれんから詳しくは話さんけど、わしらの本当の本質と彼の本質、そしてあんたの本質の間には、多くのレベルでつながりがあるんや。人間として物理的な世界に過度に集中することで、わしらはそのつながりを失ってしもうとるんや。ああ、そうやな。そこにはたくさんのことがあるんや。これによって、あんたはアリとの関係を続けられるんや。ただ、彼はもう物理的な形ではここにおらんだけやな。これは、ここ数年でわしが自分の父親について気づいたことと同じや。わしの父親は9年ちょっと前に亡くなったんやけど、息子を亡くすのと親を亡くすのは全然違うってことは、わしも完全に理解して認めとるで。
でも、わしは「ああ、父さんはまだここにおるんや。まだ父さんと話せるんや。まだ父さんと関係を持てるんや。ただ、30年か35年くらい経験してきた物理的な形ではなくなっただけや」って気づいたんや。文字通り、あんたの後ろの壁にわしの父さんの写真があるんやけど、父さんのことや父さんの考え、父さんの人生のことを考えると、それがわしのすることに影響を与えとるんや。
これは物事の見方を変えるんや。人生は前にも後にもあるんや。わしはこの考え方が大好きやな。物理学を深く理解しとったら、多くの人には難しいと思うけど、「ここ」っていう定義がかなりあいまいやってことに気づくはずや。「今」っていう概念もあいまいなんや。
実際、時空っていう概念のおかげで、わしらは人間としてやなくて、この物理的な形やなくて、本当の本質として、どこにでもおって、みんなの一部になれるんや。これが真実なんや。アリが死ぬ2週間前に見た夢がまさにそれやった。彼はどこにでもおって、みんなの一部やったんや。
面白いことに、多くの精神的な教えでは、これが死の定義なんや。この物理的な重荷から解放されて、根源に戻ることなんや。
わしらが育てられた方法、社会が教えてきたこと、わしらの周りに見えるものが、明らかにわしらの世界の見方を定義し、形作っとるんや。それを疑い始めると、深い穴に落ちていくことができるんや。
わしが最近読んどった、面白いことがあるんや。9つの感覚を持っとるアフリカの部族のことや。わしらは5つの感覚があると考えとるやろ。触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚やな。でもこの部族にとっては、9つの感覚のうち1つもわしらの5つと同じやないんや。
例えば、彼らの感覚の1つはバランスなんや。体のバランス、心のバランス、精神のバランスやな。わしはこういうのが大好きなんや。これまで知っとると思っとったことすべてを疑問視させるからや。「5つの感覚しかない」って誰が言うたんや? この5つが正しい感覚やって誰が言うたんや?
わしの本の中で、多分新しい本やと思うけど、「幸せを解決する」かもしれんな。そこで言葉について書いとるんや。言葉がどれだけ制限的かについてな。わしらは自分の経験を、持っとる言葉でしか表現できへんからや。それがめっちゃ制限的なんや。
これは現代の医療実践の多くに対するわしの大きな不満の1つやな。測定できるものだけに絞られてしもうとるんや。測定できへんものは現実やないって。でも人の人生や経験の中には、測定できへんけど本当に大事なものがようけあるんや。
そのとおりや。わしは正直に言うて、科学は多くの場所で一種のカルトになってしもうとると思うんや。科学で説明できへんものは存在せえへんって。いや、そうやない。わしにとって科学は、理解を深めたり高めたりするのに役立つもんやけど、科学はすべてを包括するもんやないんや。今のところ、すべてを説明できるわけやないんや。
あんたの言う通りや。わしははっきり言うで、科学は宗教やと。信仰なんや。そうなってしもうたんや。いや、科学は科学的方法の1つにすぎへんのや。ちなみに、精神性も別の方法やな。すべてのものがなければ存在できへんのや。全体的な視点を得るには、科学も、哲学も、数学も、精神性も、生物学も、ちょっとずつ必要なんや。わしらが生きとるこのめっちゃ複雑な世界を理解するためにな。
ちなみに、完全に理解することは絶対にできへんで。無理や。わしが思うに、一番面白いのは、わしらがそういう概念にめっちゃ執着して、それが真実やと信じてしまうことやな。
わしの大好きな本の1つに「フリーコノミクス」ってのがあるんやけど、読んだことある?
いや、読んだことないな。
ああ、めっちゃ目から鱗が落ちるような本や。「フリーコノミクス」は経済学を使って、見えとるものが真実やないってことを教えてくれるんや。例えば、不動産業者はあんたに一番ええ取引をさせようとしとるんやないんや。ただ自分の手数料に興味があるだけなんや。
計算してみると、一番ええ取引をせえへん方が手数料が高くなるんや。彼らの唯一の目標は、あんたを説得することなんや。悪い取引でもあんたを説得できたらええんや。だから、売り手と買い手の間や、家主と借主の間での価格設定に、めっちゃ面白い力学があるんや。
毎日仕事に行く医者のうち、何人が命を救いたいと思って行っとるんやろか。何人が金を稼ぎたいだけで行っとるんやろか。わしらは政府がわしらに奉仕するためにおるって当たり前のように思っとるけど、全然そうやないんや。政府がやっとることのほとんどは、票を得るためなんや。本当の目的は、再選されることなんや。わしらに奉仕するためには再選される必要があるかもしれんけど、選ばれんかったら奉仕もできへんのや。
わしの次の本、「あなたの頭の中のあの小さな声」の2章で、文脈について話しとるんや。文脈がめっちゃ面白いんや。アラビア語を学んで育ったことの利点の1つは、アラビア語がめっちゃ複雑やってことや。というのも、どの言葉にも複数の意味があって、どの意味にも複数の言葉があるからや。
例えば、「ライオン」って意味の言葉が500個もあるウィキペディアのページがあるんや。「アサド」っていう言葉は「ライオン」って意味やけど、人の名前でもあるんや。「ラードゥム・ファール」っていう言葉は「ベッドの上で上手な男」って意味もあるんや。「ウム・ガナフィス」っていう言葉は実は「ビートルズ」のことやけど、「ライオン」としても使えるんや。
面白いことに、言語でこういうのを使い始めると、突然その言語がめっちゃ文脈依存的になるんや。文脈を見なアカンようになるんや。わしらの多くは、本当の人生を生きるために言われたことの文脈を見直すことをせえへんのや。わしらはあまりにも激しくマーケティングされすぎとるからや。
そうやな、そこにはたくさんのことがあるんや。わしの両親はインドのカルカッタ出身で、わしが育った家ではベンガル語が話されとったんや。ベンガル語には「ありがとう」っていう言葉が本当にないんや。
わしはイングランドで生まれ育ったから、「お願い」と「ありがとう」を言うのが大事やって習ったんや。でもベンガル語では、少なくとも普通に話す時には、そういうのは本当に存在せえへんのや。言い方で感謝の気持ちが含まれとるんや。
だから、物事を広く見ると、認識や作り出すストーリーに関して、誰かが「ありがとう」って言わんかったら「あの人は失礼やな」って思うかもしれへんな。
そうや、わしはそれが大好きやな。でも待てよ、彼らが話す言語のレンズを通して見ると、実際にはそれが言語の一部やないんや。英語では「お願い」と「ありがとう」って言うけど、それは…そしてわしは、この視点や文脈が、イーディス・エガーのアイデアに戻るんやと思うんや。わしらは自分の心の中に牢獄を作り出しとるんや。人々がどう行動すべきかについての認識を持っとる…
期待やな。
そうや、だから出来事がその期待に合わんかったら、わしらは不幸せを作り出すんや。
その通りや。その反対側の面白いことは、英国の文化が全体的にあまりにも形式的すぎて、他の場所では実際に失礼やと考えられることがあるってことや。英国の文化では「ありがとう」って言わんのは失礼やって言うけど、あまりにも形式的で控えめやと、他の文化では「あの人は自分のことを偉いと思っとるんやろか」って思われることがあるんや。
わしはそういう経験をしたことがあるんや。「迷惑をかけたくないんです」とか「あなたに負担をかけたくないんです」って言うと、ほとんど侮辱的に聞こえることがあるんや。「いや、わしがあんたを招待したんや。食事に招待したんや」って感じでな。
その通りや。「わしが何か間違ったことをしたんやろうか」って感じになるんや。
そうやな。わしはみんなが、誰もが同じレンズを通して出来事を見とるわけやないってことを理解できたら、わしらはもっと幸せで思いやりのある世界になるんやないかって思うんや。
わしは一度、英国の言葉とその意味の辞書をもらったことがあるんや。英国人やないと気づかへんけど、「そんなに悪くない」って言うたら、「ええ」って意味やと思うやろ。でも実際はそうやないんや。わしらが思っとる意味とは違うんや。そういうのがようけあって、めっちゃ目から鱗が落ちるような感じやったな。あんたは何かを意味しとるつもりやけど、わしらはそれをまったく違うように受け取っとるんや。ほな、この素晴らしい会話を締めくくるために、幸せと人間関係について話そか。人間関係は明らかに、幸せで満足な人生を送るための最も重要な要素の1つやな。他の人との関係、自分自身との関係、周りの世界との関係や。わしは、多くの場合、人間関係における感情的な未熟さがあると思うんや。わし自身も、これまでそれをようけしてきたんやけどな。
結婚して最初の数年間、わしは結婚が本当に何なのかについて、かなり未熟やったと思うんや。典型的に、愛についての認識は基本的にハリウッドのロマンスから来とるんやな。あんたには面白い考えがあるって知っとるんやけど、幸せにおける愛と人間関係の位置づけについて、あんたの考えを教えてくれへんか? それはどういう意味を持つんや? 愛にはどんな種類があるんや?
スティーブンのポッドキャストで、あんたは自分の子どもらの母親と6回違う関係を持ったって言うとったな。ここには人々が学べる面白いことがあると思うんやけど、あんたの考えを聞かせてくれへんか?
そうやな、まず最初に言うておきたいのは、人間関係はロマンチックな関係だけやないってことや。わしは、愛はロマンスっていう言葉に収まるには大きすぎると思うんや。これが本当に一番大事な理解やと思うんや。
愛についてわしらに与えられた物語は、正直に言うと、法的な契約みたいなもんやな。これは全然正しくないんやけどな。ほとんど設計されたプロセスの後に法的な契約が来るみたいな感じや。つまり、デートして、あれこれチェックして、好きになって、キスして、これをして、あれをして…っていう感じや。
面白いことに、このプロセスは、もしこの通りに起こらんかったら、正しい物語やないか、何かがおかしいんやないかって思わせるんや。好ましい旅があるんやな。例えば、偶然出会って、これが起こって、あれが起こって…っていう感じで、それを子どもらに話せるようなストーリーやったら、もっと素晴らしいって思うんや。
でも、あんたもわしも知っとるように、世界の一部では、例えば長い間、お見合い結婚が結構大きかったところがあるやろ。そこには他のストーリーや、実際にもっと成功する別の物語があるんや。10年くらい前に「選択のパラドックス」っていうめっちゃええ本があってな、お見合い結婚と恋愛結婚の成功率を統計的に測ったんや。長続きする確率が4倍くらい高かったんや。
問題はこうや。わしらは自分に、ストーリーがあって、そのストーリーが愛やって言い聞かせとるんや。それがあんたの期待やったら、悲しいことに、出来事は常に期待に届かんことになるんや。なぜかっていうと、わしらは常に変化しとるからや。
わしが18歳の大学の恋人として出会った女性は、結婚した時の女性とは違うんや。結婚した瞬間、わしら二人がすることすべてに違いが出てきたんや。子どもができた時、彼女は女性から母親になったんや。わしから見ると、これは全然違う存在や。彼女の優先順位が変わり、心理が変わり、行動が変わり、注目するものが変わるんや。彼女の人生にかかるプレッシャーがまったく違うものになるんや。
もしわしが、出かけて楽しみたがる大学時代の恋人のままでおってほしいって期待したら、それは起こらへんのや。そしてそれは、わしの側でも続いて起こるんや。わしのキャリアが成功して、もっと金を稼ぐようになって、よく口説かれるようになったりしたらな。
これらを考えると、突然、人間関係は時間軸なんやってことに気づくんや。これを言うのは嫌やけど、事実を理解して正しい期待を持つために大事なことなんや。すべての人間関係は、こんな感じのグラフをたどるんや。最初は急上昇する。バタフライ感情や興奮、ハネムーン体験やな。それから下降し始めるんや。
製品普及曲線を覚えとるやろ。あのSカーブみたいなもんや。もう一度火をつけるか、終わらせるか、それとも残りの人生を野菜みたいに生きるかのどれかを選ばなアカンのや。つまり、興奮も楽しみも生命力もない状態やな。
わしとニバルにとって、わしら二人が変わるたびに、わしは「わしの大学時代の恋人はどこいったんや」って思うんや。そして新しい彼女を見て、「ああ、でもこの人もめっちゃ可愛いやん」って思うんや。本当に別の女性と恋に落ちるみたいやったんや。別れて違う人を見つけるみたいな感じやけど、その違う人は依然として彼女で、違うバージョンの彼女で、違うバージョンのわしにとってのな。
もし人々がこれを受け入れられるなら、わしは愛と人間関係の現実、愛と人間関係について持つべき期待はこうやと思うんや。
まず、愛は人間関係とは違うんや。愛はロマンスとは違うんや。これが1つ目のルールや。
2つ目のルールは、わしが本当に大事やと思うんやけど、人間関係とロマンスは衰えていくけど、愛は続くってことや。わしとニバルはもう一緒におらへんけど、わしは彼女をめっちゃ愛しとるんや。ちょっとずつ違う方法でやけどな。彼女はわしの心の大切な部分や。わしの息子はもう生きとらへんけど、わしは彼をめっちゃ愛しとるんや。
そしてわしはあんたを愛しとるし、わしの話を聞いとるみんなを愛しとるんや。もしわしを嫌う正当な理由がない限りはな。でも正直言うと、その場合でもわしは彼らを愛するけど、ただ避けようとするだけやな。
だから愛を方程式から外そう。これは、ロマンスを売るためにめっちゃ美化された方法なんや。愛はいつもそこにあるんや。でもロマンス自体は、わしが言うたように衰えていくんや。衰えていく時、あんたはそれを真実として扱うことができるんや。
あんたはそれを選べるし、わしが思うに、これが今日のわしらの現代社会で起こっとることなんや。あんたとわしは、例えばZ世代とはまったく違う世代から来とるんや。Z世代は人間関係をまったく違うように定義しとるんや。
あんたとわしは、同性愛の関係やロマンスを受け入れへんくらいアホな世代から来とるんや。世界がようやく目覚めて、みんな好きなようにしたらええって受け入れるようになったんやな。
これを見始めると、おそらく人間関係にはいろんなモデルがあるって言い始めるんや。そのうちの1つが、ハリウッドがわしらに売ってきた伝統的なストーリーやけど、他にも無限のモデルがあるんや。本当に無限やで。
わしはこれについて取り組んどるんや。知っとるように、2023年4月の本になる予定やけど、「愛を見つける」っていう本や。「愛を見つける」の中で一番大事な章の1つが、すべての違うモデルについてや。
例えば、単なる性的関係から献身的な関係までのスケールで、あんたはどこに位置するんや? 自由から拘束までのスケールで、あんたはどこに位置するんや? そういうスケールがようけあるんや。
もしそれを定義して、人生でどこにおるかを知ったら、突然あんたの選択が、今実際にしとる選択とはまったく違うものになるかもしれへんのや。
わしには一度、素晴らしい人との経験があってな。わしはいつも旅をしとって、ドミニカ共和国に6ヶ月くらい住んどったんや。最初のうちは、わしらはお互いにめっちゃ惹かれあったんやけど、わしは「これは間違っとる。わしはここに長くおらへん。数ヶ月でここを去って、その後は痛みを伴うことになる」って言うたんや。
でも最終的に、彼女が「数ヶ月の間一緒におるのは素晴らしいことやないの?」って言うて、わしらはそういう場所に落ち着いたんや。これは、「こうでなければいけない」って言う元々のモデルとはまったく違うモデルやな。
まず自分自身を知ることから始めるんや。次に自分自身を愛することや。自分自身を愛するのは、今日の世界で一番欠けとることやと思うんや。自分の価値を認めへんかったら、間違った人を受け入れてしまうんや。
一番面白いのは、あんたがどんな人やろうと、背が高かろうが低かろうが、曲線が多かろうが痩せとろうが、それに夢中になる人がおるってことや。
もしあんたが「わしはこういう人間や」って言えて、「こういう人間として自分を宣伝する」ことができたら…「宣伝する」っていうのは、これがわしの姿やってことや。ちなみに、これが気に入らんのやったら、あんたの好きなものを探してな。わしはただ、これが好きな人を待っとるだけや。
そして3つ目、これを言うとほとんどの人がわしに腹を立てるんやけど、愛と人間関係の経済学を理解することや。これはめっちゃ面白いことなんや。
世界中で作られた車のモデルは10万くらいあるはずや。そして毎日、何十億人もの人が車を見とるはずや。もしあんたが、例えば1960年代のシェルビー・コブラやとしたら、すべてのトヨタやヒュンダイやフォードの中で、あんたは10億台に1台やな。
シェルビー・コブラに興味のない大多数の人にとっては、あんたには価値がないんや。でもその車を史上最高の車やと思う人が何人かおるはずや。そういう人たちと一緒におったら、それを買いたがる人を見つけられる可能性が高いんや。そしてその人は、それを永遠に大切にしたがる可能性が高いんや。
これが今日のわしらの世界の問題やと思うんや。今日のわしらの世界の問題は、人間関係を通じて、わしらはみんなに向けて自分をマーケティングしようとすることや。だから、すべての可能性のあるパートナーに対して利用可能であろうとするんや。その結果、わしらの価値が下がってしまうんや。
わしは男性でも女性でも、ゲイでもストレートでも、どんな人間関係のモデルを求めとる人でも、みんなにこう言うんや。あなたが本当の自分でおって、本当の自分を宣伝することを確実にしたら、つまり他の何かのふりをせえへかったら、アプリで見る14,000人のうち99%は「あ、わしの求めとるものと違う」って完全に言うやろ。
でも1,000人くらいは「ああ、わしの夢の人や。こんな人がおったんや」って言うはずや。そしてその人たちにとっては、あんたの価値はめっちゃ上がるんや。だからそれを受け入れるんや。逃げんといてな。
だから愛を見つけるには、自分自身を愛して、自分の好きなことをすることや。そんなに簡単なことなんや。
この次の本はめっちゃ面白そうやな。いつでもまたポッドキャストに来て、好きなことについて話してくれたらええで。
コーヒーを入れてくれたら、わしは来るで。
ほな、次はもっと人間関係について深く話そうな。次の本のためにな。
あんたと話すのはめっちゃ楽しかったわ。まだ話せることの表面しか触れてないような気がするわ。あんたの言葉はめっちゃパワフルで、鋭くて、時には挑発的やけど、ええ意味でな。このポッドキャストは「Feel Better Live More」っていうんや。自分自身をより良く感じられたら、人生からもっと多くのものを得られるってことやな。
最後に、モーさん、あんたの知恵の言葉をちょっと聞かせてくれへんか? 今、世界中で本当に苦しんどる人がおるんや。幸せを感じられへんし、幸せは選択やっていう考えに挑戦されとる人もおる。今の人生よりもっと多くのものを得たいと思っとる人に、何か言葉をかけてあげられへんか?
わしは、幸せへのアプローチに投資することをお勧めするわ。人生の悪いところについて不平を言うことや、成功することに時間を費やすんやなくて、幸せへのアプローチに投資することやな。
例えば、7日間何かをしたら次の仕事を得られる可能性が高くなるって言うたら、あんたはそれをするやろ? 週に4回ジムに行ったら、もっと魅力的な体型になれるって言うたら、それがあんたの望むものやったらするやろ?
じゃあ、幸せのジムに週に何回か行ったら、実際にもっと幸せな人生を送れるって言うたらどうや? 幸せのジムはめっちゃ単純なんや。練習する必要のあるスキルのセットやな。
そうや。あんたの周りにおって、もっと一生懸命幸せのトレーニングをするように励ましてくれる人たちのグループやな。幸せな人生を受け入れたいんやったら、学ぶ必要のある信念のセットやな。
だからわしは、もっと幸せな人生を送りたいんやったら、週に4回ジムに行けって、はっきり言うんや。毎日1時間、ポッドキャストを聞いたり、本を読んだり、映画やドキュメンタリーを見たりすることに使うんや。幸せを理解して、ほとんどの時間幸せな人たちに囲まれるようにするんや。
あんたを殺して、世界のことで怖がらせとるニュースフィードをオフにするんや。物事について違う風に感じることを選ぶんや。わしは数日前にインスタグラムに、めっちゃ成功した投稿をしたんや。ウクライナについてやったんやけど、こう言うたんや。
「わしは怒っとる。暴力を認めへんし、不正を認めへん。でも、わしは思いやりを持つことも選べるし、愛することも選べるし、親切になることも選べるし、寛大になることも選べるんや。同じ出来事に対して、違う感情を引き起こすことを選べるんや」ってな。
なぜなら、もし親切になることを選べたら、実際に違いを生み出せるからや。寄付を送ったり、何かをしたりできるんや。わしはこういう選択が、幸せになるための正確なポイントやと思うんや。「これはわしの成功をもたらさへんかもしれへん。わしの人間関係をもたらさへんかもしれへん。これやあれをもたらさへんかもしれへん。でもわしをもっと幸せにするやろ」って選択をすることや。
そしてわしらがそうし始めたら、その道を歩み始めて、そこに到達するんや。
めっちゃパワフルで、力づけられる言葉やな。みんなにあんたの本を手に取ってもらいたいわ。素晴らしい本やからな。数年前の「幸せを解決する」はもちろん、新しい「あなたの頭の中のあの小さな声」も、あんたの脳を動かすコードを調整する本や。そこにはめっちゃ知恵が詰まっとるんや。
モーさん、最後の質問や。少なくともこの会話の最後の質問やな。わしは、あんたの本の中の言葉や、今日あんたの口から出た言葉、そして他の場面であんたが話すのを見た言葉を通じて、アリがどんな人やったかっていうアイデアを持っとるような気がするんや。多くの面で、アリはここにおるんやな。彼の声や本質が、あんたがすることを通じて世界と共有されとるんや。
もしアリが今、物理的な形でここに座っとったら、彼はあんたに何て言うと思う?
「よくやったな、デブのホビット」って言うやろな。アリはほとんど話さへんかったんや。本当に信じられへんくらいや。賢い聖人みたいに、アリは何時間も何時間も聞いとって、それから4つの言葉を言うんや。
彼が亡くなる前、わしに4つ…いや8つの言葉を言うてくれたんや。そしてそれがわしの人生を変えたんや。「あんたが仕事をやめてほしくないけど、もうちょっと頻繁に心に頼ってほしい」って言うたんや。
本当に、それがわしの人生をひっくり返したんや。もし彼がここに座っとったら、「あんたにはわかったんやな、デブのホビット」って言うやろな。なぜなら、実際にはわしは誰も必要としてへんテクノロジーを作るのに、無限の時間を費やしてきたからや。実際には、わしは必要もない金を稼ぐのに、数え切れんほどの時間を費やしてきたからや。その金は、あげる時にしか喜びをくれへんのにな。
わしは思うんや。わしら一人一人にとって、わしらが始めた選択、つまりあんたの心拍をどこに置くかっていう選択…わしにはもうあんまり残っとらへんけどな…その選択が本当の現実なんや。
ええ言葉やな。わしは彼のことが大好きや。彼はめっちゃすごかったんや。すべてにおいて最高やった。彼が去ることで、あんたやほかの人と知り合えて話せるようになったことに、わしは感謝しとるんや。
ありがとう、モーさん。
幸せについてのこの会話を楽しんでくれたんやったら、なんで多くの人が迷子になって、やる気をなくしとるかについてのこの会話も楽しんでもらえると思うわ。変化を起こすのは、あんたが思うほど難しくないんや。時々迷子になったり、やる気に苦しんだりするのはわかっとるけど、これらの実践は本当に違いを生み出すんや。


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