AIハイプの沈静化「鳥と蛙」の視点

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この動画では、AI専門家のデイブが「鳥と蛙」の視点という比喩を用いて、AI業界における異なる立場と自身の視点の変遷を分析している。当初は技術的な詳細に焦点を当てた「蛙の視点」から始まり、社会への影響を俯瞰する「鳥の視点」へと移行したが、現在は再びポスト労働経済学という具体的分野に集中する「蛙の視点」に戻っている。AI業界には破滅論者、懐疑論者、楽観主義者といった複数のキャンプが存在し、それぞれが固定化されつつあるが、全体的にハイプが落ち着き正常化が進んでいると指摘する。技術進歩は継続しているものの、社会的・政治的・経済的な対応は遅れており、長期的な視点が必要であると論じている。

AI Hype Is Cooling. "The Bird and the Frog" Perspectives.
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AIハイプの沈静化における「鳥と蛙」の視点

ビジネス界には「鳥と蛙」っちゅう比喩があるんやけど、これは子供の童話みたいに聞こえるかもしれんけど、実際は特定の業界とか分野、トレンド、トピックに対する視点や見方を表す比喩なんや。

鳥っちゅうのは高いところにおって、下を見下ろして全体を見渡しとる。一方で蛙っちゅうのは泥の中におって、雑草を見とる。文字通り「雑草に迷い込んだ」状態やな。これもビジネス関係者がよう使う言葉で、細かいことにあまりにも巻き込まれて、大きな絵が見えへん状況を指すんや。つまり鳥は大きな絵、蛙はズームインや。

これ全部の要点は、俺らが今どこにおるんか、これからどこに向かうんか、そして色んなキャンプが何を言うとるんかについて反省することなんや。

チャンネル開始時の蛙の視点から鳥の視点への転換

俺がチャンネルを始めた時は、完全に蛙やった。つまりチュートリアルをやっとって、プロンプティングをやったり、ファインチューニングやコーディングをやったりしとった。GPT-3とかGPT-4をどうやって使うかっちゅう雑草の中に完全に迷い込んどった。

でも時間が経つにつれて視点を広げて、実際俺の視聴者の大部分は俺が鳥のフェーズに切り替わった時に来てくれた。その時はAIが与える影響を見とったからな。社会にとって何を意味するんか、未来はどんな風に見えるんか、過去から何の教訓を得られるんかを見とった。

そうやって鳥の視点を取ったんやけど、面白いことに、視聴者の多くが気づいとることやけど「デイブ、最近あんまり楽観的やないな」とか「頭が雲の中にない」って言われるようになった。それを好む人もおるし、好まん人もおる。人は進化するもんやからな。

社会全体の進化と成熟

俺が進化しとるだけやなくて、社会で俺が見とる進化について話すつもりや。それがこの動画の全体の要点やからな。俺はまた蛙になりつつあって、ポスト労働経済学により集中するようになった。これは非常に特定の影響と特定の介入や。

俺は今でもAIに注意を払っとる。Twitterでいつもつぶやいとるし、LinkedInに投稿したり、Substackで書いたりしとる。もちろん大きな新しいツールが出たりGPT-5が出たりした時は、まだ解説動画も作っとる。

これが俺が経験しとる転換で、他の人も似たような転換とか成熟、もしくは正常化を経験しとると思う。

異なるキャンプの分析

色んなキャンプを考えてみると、主要な大きなキャンプがいくつかある。破滅論者のキャンプ、AIのX-リスク要因があって、これはユドコウスキーとかコナー・レーヒーみたいな人が率いとる。そのグループがあって、少なくとも表面上は沈静化しとるように見える。

AI安全性の多くの人が、より過激なX-リスクの人々から実際に距離を置いとる。それから別のキャンプは多分懐疑論者やと思う。これは積極的に関わっとるけど、影響について疑問を持っとったり、いつももう少し悲観的やったり、コップ半分空っぽ派で、ゲイリー・マーカスみたいな人が率いとる。

それから楽観主義者とかユートピア未来主義者のブラザーズがおる。風景を見回すと、俺は間違いなくそのキャンプにおった。なぜなら俺は未来とこの技術が意味することについて非常に非常に楽観的やからな。確実にその中でもより極端な方におった。ただし、俺がこれまでおった以上のキャンプもあるって言わなあかん。

YouTubeのインセンティブ構造

統合失調症的なハイプの人々みたいなもんで、これは全てを変えるって感じや。俺もそのスペクトラムの端におるって言う人もおる。外部の視点からすれば、確かにそう見えるのは公平やと思う。でも言いたいのは、特にYouTubeのインセンティブは本当にハイプを好むっちゅうことや。

より極端になるほど、より注目を集める。俺のYouTubeキャリアの大部分で、アルゴリズムが実際に報酬を与えるものと俺が真実やと感じるものの間で板挟みになっとった。最近は実際に真実やと感じることに集中しとる。俺の古い動画を見ると「あれは言うべきやなかった」って思うことがある。

とにかく、そういう成熟は俺らの多くが経験しとる兆候やと思う。多くの人がハイプにうんざりしとるからな。ネガティブさにもうんざりしとる。両極端ともに冷却しとるように感じる。それは正常化しとるからで、視聴者の多くも気づいとる。

LinkedIn上の遅れた認識

俺は頭が雲の中にないけど、多くの他の人も頭が雲の中にない。楽観主義と悲観主義の両側のより極端な尻尾から距離を置く人を見るとき、完全なハイプや破滅論に対してもそうや。もちろん、主にLinkedIn上で頭を砂に突っ込んだままの人もまだおる。

LinkedInの人々がどれだけカーブの後ろにおるかは本当に面白い。ビジネス志向のソーシャルメディアネットワークやと思うやろうから、AIはビジネスにとって最もクールなものやって言うやろうと思うんやけどな。本当に面白いのは、AIについて最もネガティブな人の中に、タイトルに「AI会社創設者」って書いてる人がおることや。

もちろんある場合は選択バイアスやサンプルサイズの問題やし、ソーシャルメディア上の全員がある程度エンゲージメントのために最適化しとる。それが見えへんかったら、エンゲージメントのために最適化してへんっちゅうことやからな。だからこの多くには構造的な理由がある。

舞台裏での率直な会話

同時に、舞台裏でビジネスリーダーや思想リーダー、政治家、教授なんかと率直な会話をする時、彼らも同じようなことを感じとる。

俺が持っとる最大の例の一つは、大学で講演をする時、出てくる懸念の一つは、最近のほとんどの子供がYouTuberになりたがっとることや。それが夢の仕事や。もしくは何らかのコンテンツクリエイター。インフルエンサーやコンテンツクリエイターになりたがっとる。彼らはAIが自分たちの教育を無効にするんやないかと心配しとる。

「デイブ、あなたならどうしますか?」って聞かれる。俺は「見てみい、学校で学んだコーディングとかの全部、プロ的に使ったことないで」って答える。学校ではPascalとC++を学んだ。業界に入った時には、PowerShellとPythonやった。その後はプロンプトエンジニアリングやった。英語で書くっちゅうことや。

「だから学校で学ぶものは何でも、使うことにならへん」って言う。もちろん6万ドルか知らんけど、デューク大学に行くために払っとる大学院生は、そんなこと聞きたくない。でもそれが真実や。

現実的な視点の重要性

俺は現実的になって、遠回しに言わへんとか、完全な破滅論に走らへんとかすることが一番簡単やって決めた。Substackには「思っとるより悪くなる」みたいなことも書く。その理由は、それが売れるからや。売れるって言うとき、それは視聴回数を稼ぐっちゅうことや。

俺の仲間のYouTuberに感謝せなあかんのやけど、マット・ウルフやったと思うけど、俺に言うたんや。グループでも言うたけど「視聴者はあなたの意見を聞きたいんやない。あなたの口から自分たちの意見が出てくるのを聞きたいんや」って。

だからすべてのコンテンツクリエイターがインセンティブを与えられとることは、ある程度自分の視点を共有することやけど、視聴者がすぐに完全に共感する方法でフレームすることや。それが画面に目を留めるもんやし、購読者を増やし続けるもんやからな。

理想主義者やったら、最初にそれに入る時は本当に気持ち悪い感じがする。人々が言うことの一つは「価値観や使命、目的に忠実でおれ」っちゅうことで、それは正しい。そうすれば目的や使命に人を引きつけることができるからな。

AI宗教の形成

すべてのキャンプがそれを中心に固まったと思う。それが俺が異なるAI宗教について話すときの意味や。破滅論者、懐疑論者、統合失調症的ハイプ楽観主義者なんかがおる。みんな今は自分なりのやり方で固まっとるけど、同時に落ち着きと正常化がある。「オーケー、今何が起こっとるんや?」っちゅう感じや。

社会的視点からの将来展望

動画の最後は、社会的視点から実際にこれがどこに向かっとるかを話すことで終える。これはより人類学的や社会学的な視点や。俺が人類学者や社会学者やというわけやないけど、文明の中の人間として、これがどこに向かっとるかを見とる。

一つ目、俺はまだこれがどこに向かっとるかについて超楽観的や。俺らの中で非常に注意深く見とる多くの人は、思っとるより早くマイルストーンを達成しとることに気づいとる。

マイルストーンの中には、期待するほど魅力的やなかったり、セクシーやなかったりするものもある。でも例えば、ロボット工学で先月起こった一つか二つのことで、物事が順調に進歩しとることが分かる。一つ目は、中国が5000ドルのヒューマノイドロボットを発表したことで、これは誰もが思っとるより早く起こった。

ロボット技術の急速な進歩

工業規模がそこにあることを証明しとるし、5000ドルの価格帯やったらそれより安くなるし、もっと良くなる。もう一つ起こったことは、手先の器用さが飛躍的に進歩しとることや。俺のチャンネルをある程度見とる人は気づくと思うけど、俺が指摘してきたことの一つは、ロボットが本当にブルーカラーの仕事や単純労働を引き継ぐ前に、手先の器用さを本当に解決する必要があるっちゅうことや。俺らの運動制御がどれだけ細かいかを当然のことやと思っとるからな。

でも俺は日本のロボットが糸通しをしとる動画を見た。昔の機械式シャーペンを使ったことがあるなら、先端に芯を通す必要があるやつやけど、それをやっとった。ロボットの手がサブミリメートルの精度まで到達したっちゅうことや。

それは基本的に人間や。人間の外科医より良い。0.1ミリメートルの精度レベルやったから。それは俺が思っとるより早く、早く起こった。多くの俺らを不意打ちした。

ホフシュテッターの法則と長期的視点

だから俺はまだ超楽観的やけど、同時にホフシュテッターの法則が適用される。それは「思っとるより時間がかかる。ホフシュテッターの法則を考慮に入れても」って言うとる。だから長期戦に備えなあかん。

それがポイント2や。そう、物事は進歩しとる。そう、指数関数的なものがあるし、指数関数的なものがある。でも俺らはまだベビーステップを踏んどって、オリンピックレベルのスプリンターにならなあかん。

AIとロボット工学の幼児期に入った。これは非常に素晴らしいし、資金もある。投資もあるし、研究もあるし、意図もあるし、エネルギーもあるし、興奮も良い。でも俺らにはまだやることがたくさんある。長期戦にいなあかん。

技術と社会の乖離

言いたいのは、技術的視点から物事は良い方向に進んどるけど、社会的、政治的、経済的視点からは必ずしも正しい方向に進んどるわけやない。

場合によっては、多くの人が指摘するように早すぎて分からんっちゅうのに同意する。ある面では本当に早すぎて分からん。つまり、AIベースの解雇の第一波、ロボットやエージェントが人間の労働に侵入する第一波を見た。

正味の雇用喪失を経験しとる兆候があって、創造的破壊の創造的部分はまだ起こってへん。個人的にはそれは起こらへんと思う。ポスト労働経済学の俺の仕事で表現したすべての理由のためやし、そのため結果は保証されてへん。特にまだ理解してへん政治家やビジネスリーダーを見るとな。

公的発言と私的見解の乖離

俺が指摘する警戒すべき点の一つは、多くの政治家やビジネスリーダーが公的に言うことと私的に言うことが違うっちゅうことや。もっと多くのリークが出てきとって、俺はそういうものを見たらいつもリポストしとる。「静かな部分を大声で言うた。彼らが何をするかに注意せよ、何を言うかやない」みたいにな。

同時に公式な物語と実際の物語の間に断絶がある。でも多くの権力者が正直懐疑的やから断絶もあると思う。「ああ、何でもない。新しい雇用を創出する。いつもそうやから」って言うて、公理的な信念を持っとる。

世界の働き方、技術の働き方、物事の進歩の仕方についてのそういう深く根ざした公理的信念が、避けられんことの一部を遅らせるんやないかと心配しとる。

漸進主義の重要性

同時に俺は漸進主義を非常に信じとる人でもある。必ずしもパレート改善だけやないけど、一般原則としての漸進主義、ビジネス、政府、法律、規制に段階的変更を加えることを信じとる。複雑適応システムを研究すると、政府は複雑適応システムの一形態やけど、こっちのノブを回すと向こうで何かが壊れる。コーディングをする人は誰でも知っとることや。

こっちで変数をいじったり、向こうで関数をいじったりすると、ドメイン全体で何かが崩壊して、フィードバックループは何か、波及効果は何かを解明するまで理由が分からん。

だから結果は保証されてへんし、システムには多くの摩擦がある。それが俺が話しとる懐疑論や。懐疑論は社会で目的がある。ゲイリー・マーカスみたいな人に反対やとしても、彼は重要な社会学的機能を果たしとる。だから彼にあれだけのフォロワーがおる。ある人にとっては、反射的に懐疑的やからや。

人類の集合知性

人口には性格特性の自然な分布があるんやが、その性格特性の自然な分布は、集合的に人類が超知性やっちゅうことを意味する。俺らはすでに超知性や。なぜなら可能なすべての角度から集合的に物事を見とるからや。

だから俺は彼らに同意する必要はない。あなたも彼らに同意する必要はない。俺に同意する必要もない。でも俺ら全員がパズルの一部と自分の視点を持っとる。動画を見たり、ブログを読んだりするようにコミュニケーションすることで、時間をかけて実際に真実が何かを三角測量する。

「俺ら」って言う時、いつか俺が正確な真実を知るっちゅう意味やない。人類が前進するのに十分な合意に到達するっちゅう意味や。

まとめ

そうやって、最後まで見てくれてありがとう。このフォーマットが気に入ってくれたら嬉しい。もちろんもっと冷静なフォーマットを好むなら、もっと冷静なチャンネルも存在するけど、教えてくれ。ハイプとか失望とかそういうものに巻き込まれるんやなくて、これからはこのやり方を好む。

コメントで何を思うか教えてくれ。また次回会おう。

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