科学における最も奇妙なアイデア:量子不死

物理学・宇宙論
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この動画は量子力学における最も奇妙なアイデアの一つである「量子不死」について詳しく解説している。多世界解釈に基づけば、観測によって波動関数が収束するのではなく、すべての可能な結果が並行宇宙で同時に実現される。この理論から導かれる驚くべき結論は、意識を持つ観測者は自分が死ぬ分岐を経験することができないため、理論上は永遠に生き続けるというものである。動画では量子ロシアンルーレットの思考実験を通じて、この概念の論理的帰結と哲学的含意を探究し、最終的に自我の本質と現実の性質に関する根本的な問題を提起している。

The Strangest Idea in Science: Quantum Immortality
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量子力学と現実の謎

量子力学っちゅうもんは、ちっさい粒子についてだけの理論やと思いがちやけど、実はもしかしたらあんたが本当に死ぬことはないかもしれへんて予測しとるんや。量子不死っちゅうやつやな。

量子理論によると、世界は古典的決定論に反する方法で振る舞うんや。アインシュタインが「神はサイコロを振る」と有名に表現したやつやな。粒子は放っておくと、確定した位置や速度を持たへん。どこにでも、どこにもおらへん状態や。実は量子力学っちゅうもんは、重ね合わせの理論として一番よう理解できるんや。

例えば、孤立した電子は明確なスピンアップやスピンダウンの状態を持たへん。文字通り、両方の状態の重ね合わせにあるんや。観測したときにだけ、電子が選択したように見えるんやな。

この振る舞いは有名な二重スリット実験で一番はっきりと示されとる。壁に開いた2つの小さな穴に向かって、一度に1個ずつ電子をゆっくりと撃ち込むと、向こう側に干渉パターンができるんや。なんでか1個の電子でも、両方のスリットを同時に通ったかのように振る舞って、その干渉パターンを作るんや。

実際、電子は波のように振る舞って、位相の極大が建設的に干渉してピークを作り、極小が組み合わさって谷を作るんや。でもスリットの1つに検出器を置いて、どちらの穴を通ったかを追跡できるようにすると、干渉パターンが消えて、ただの2つのシミだけが残る。今度は粒子のように振る舞うんや。

この単純な実験の結果は、物理学全体で恐らく最も深遠なもんや。我々の常識的直感を深く覆して、宇宙がそれとは違うもんやっちゅうことをはっきりと明らかにしとる。

もしこれで混乱したり当惑したりしてるんやったら、ええ仲間におるで。量子電気力学の発展を助けたリチャード・ファインマンでさえ、「誰も量子力学を理解してへん」と有名に述べとるんやからな。

波動関数と測定問題

そんで物理学者や哲学者は1世紀にわたって、量子力学が現実の性質にとって本当に何を意味するかについて議論してきたんや。彼らがほぼ同意しとることの1つは、測定の前には、これらの重ね合わせ状態の性質と進化は波のように記述できるっちゅうことや。これを波動関数って呼んで、100年前にエルヴィン・シュレーディンガーが最初に書き下したんや。

本当の問題は、この量子の波のような状態が、測定後にどないして突然、もっと馴染みのある古典的な粒子のような振る舞いに移行するかやな。

何十年もの間、主流の見解はコペンハーゲン解釈やった。つまり、これらの重ね合わせ状態は観測されるまで持続して、その時点でボルン則によって与えられる確率で単一の明確な状態に収束するっちゅうもんや。つまりボルン則っちゅうのは、波動関数の二乗によって与えられる確率やな。

これは確かに実験と絶妙に一致しとる。実際、科学全体で恐らく最も精密にテストされた理論で、1兆分の1の精度で検証されとるけど、本当に何が起こってるかを存在論的には説明してへん。

まず言うとかなあかんのは、ほとんどの物理学者は波動関数の収束が人間の意識に関係するっちゅう考えを拒否しとることや。代わりに、これらの測定は単に環境との相互作用、例えばスリットの近くの迷子の光子のようなもんかもしれへん。

でもここで問題やな。確実にその光子も重ね合わせに巻き込まれる、電子に当たる状態と当たらへん状態の組み合わせにな。確実に重ね合わせは個々の粒子に限定されへんことを知っとる。全体の集合も重ね合わせになることができて、その場合は互いにもつれた状態として記述するんや。実際、それが量子コンピューティング、テレポーテーション、暗号学の基礎やからな。

シュレーディンガーの猫と多世界解釈

そんで先ほどの電子が広い世界に拡散していくと、確実にこの重ね合わせ状態、このもつれの行進も広がっていって、最終的に人間の観測者も含むようになるはずやな。でも当然、我々の日常生活では、重ね合わせ効果を全然経験せえへん。そやから確実に何かが欠けとるんや。

この奇妙さは悪名高いシュレーディンガーの猫実験で最も鮮明に説明されとる。毒の瓶が入った箱の中に猫がおって、量子測定の結果、例えば電子がスピンアップかスピンダウンかによって、ある時刻に50対50の確率で瓶が割れるとする。重要な瞬間が過ぎた後、電子は両方の状態の重ね合わせとして記述できる。測定装置がこの量子システムともつれとるから、猫も同じく、死んでる状態と生きてる状態の奇妙な重ね合わせに存在せなあかん。

コペンハーゲン解釈による波動関数の収束は一見このパラドックスを解決するように見えるけど、多くの問題が伴う。例えば、なんで観測者、それが迷子の光子やったり猫やったり、実際に箱を開ける我々やったりが、なんでかクラシカルな実体として区別されるのに、電子は量子として考えなあかん理由がよう分からん。確実に、すべては深いところでは本当に量子やからな。

この神秘的で一元的でなく、率直に言ってアドホックな波動関数の収束のメカニズムもあらへん。そやから当然、量子理論が本当に何を意味するかについて何十年も議論が続いとるんや。

1957年、プリンストンの大学院生ヒュー・エヴェレットが根本的な代替解釈を提案した。単純に、波動関数は決して収束せえへんっちゅうもんや。収束っちゅうのは、重ね合わせの他の状態が単に消えて、1つだけが残ることを意味する。エヴェレットは、量子測定のすべての可能な結果が起こって、現実の別々の相互作用しない分岐で進化するって提案したんや。

多世界解釈の展開

この多世界解釈っちゅうやつは長い間、物理学界からほとんど無視されとったけど、この10年かそこらで、ショーン・キャロル、デイビッド・ドイッチュ、マックス・テグマークなどに支持されて、真剣な対抗馬になってきたんや。

エヴェレットのアイデアは実際かなり単純や。シュレーディンガー方程式を完全に真剣に取るだけやな。その方程式には収束がないから、つまり電子、箱、猫、あんた、俺、実際に宇宙全体が1つの巨大な波動関数で記述されるっちゅうことや。しばしば普遍波動関数って呼ばれるやつやな。

多世界解釈は収束の代わりに、デコヒーレンスっちゅう概念で我々の巨視的世界の古典的外観を説明するんや。

問題はこれや。宇宙全体が重ね合わせにあるんやったら、なんで分岐が二重スリット実験のように互いに干渉せえへんのか?答えは位相コヒーレンスにある。単純なシステムでは、量子波が同期を保って干渉できるんや。でも複雑なシステムでは、無数の粒子との相互作用が位相をかき回してしまう。

結果は、デコヒーレンスとして知られる世界のきれいな分裂や。微妙に言うと、この現実の分岐は突然の出来事やなくて、デコヒーレンスが広がるにつれて進化して、異なる量子分岐間の干渉を指数的に抑制するんや。デコヒーレンスの後、宇宙はもはや互いに何の原因や影響も与えることができへん。そやから残念やけど、リックの評議会は作れへんで。

でもここの宇宙の数は途方もないもんになるやろな。この分岐はビッグバン自体から、そして宇宙全体にわたって続いとるからな。あんたでさえ、Universe Splitterアプリを使って新しい宇宙を作ることができる。これはスポンサーやないで、スイスで行われる量子測定に基づいてあんたの決定を下すことができるんや。

そやからこの現実の分岐では、俺は午後2時にこのビデオを投稿しとるけど、別の分岐では午後1時に投稿した。両方とも本当に起こったんや。

でもこの分裂っちゅう考え全体があんたを悩ませるんやったら、あんたは一人やないで。理論物理学者ブライス・デウィットはエヴェレットを訪れて、彼のアイデアの優雅な数学を褒めたけど、自分が常に複数のバージョンに分裂してるって感じひんっちゅう直感に悩まされるって言ったんや。

エヴェレットは冷静に応答したと言われとる。「あんたは秒速30キロメートルで太陽を周回してるって感じるか?」デウィットは「参った」と言って、その場で譲歩したんや。

量子ロシアンルーレットの思考実験

量子多元宇宙では、あんたの情報は無数の現実に拡散してるかもしれへんけど、少なくともこの分岐では、あんたは情報の拡散を制限したいかもしれへん。

物理学者の間で多世界解釈は、シュレーディンガー方程式の厳密な扱いのおかげで人気が高まっとる。でもこの考えが勢いを増すにつれて、多くの人がそれが奇妙で根本的な結果を含意することに気づいたんや。

この考えは量子ロシアンルーレットのゲームとして最もよく考えることができて、マックス・テグマークが『我々の数学的宇宙』っちゅう本で普及させたんや。彼は量子機関銃を説明しとって、量子測定の結果に応じて1秒間に最大1回発射できるもんや。

具体的には、銃が引き金を引かれるたびに、粒子を重ね合わせに置いて、例えばスピンアップとスピンダウンっちゅう2つの状態に等しく存在する可能性があって、それから粒子を測定するんや。スピンダウンやったら銃が発射されて、人間の知覚より速くあんたを殺す。そうやなかったら、聞こえるクリック音を出して、1秒ごとに繰り返すんや。

エヴェレットによると、1秒後に2つの並行宇宙があることになる。1つはあんたが死んでる宇宙、もう1つは生きてる宇宙や。言い換えると、実験の前後で知覚と意識の流れを持つあんたのコピーは正確に1つだけや。

あんたは生きてへんことを経験できひんから、予測ではあんたは聞こえるクリック音を聞いて100%の確実さでこの測定を生き残るっちゅうことや。そして本当に奇妙なのは、あんたがそこに座って何十回ものクリックを連続で経験して、何度も何度も生き残ることができるっちゅうことや。

40回連続のクリックの後、コペンハーゲン解釈ではあんたがまだ生きてる確率は1兆分の1やと言うけど、多世界解釈では100%の確信でこの並外れた出来事の連続を生き残るバージョンのあんたがおって、そやからあんたはエヴェレットのアイデアが最初から正しかったと結論づけることができるやろう。

実際、あんたは多世界解釈が正しいことを証明できるやろうけど、それは奇妙にプライベートな証明になるやろな。1兆の宇宙のうち、他のみんなはただあんたが死ぬのを見て、なんでそんなことをするんかって疑問に思うやろう。彼らはこの証明を見ることはなくて、そやからこの実験は世界の残りを説得するのに失敗するんや。

ヒュー・エヴェレットはこの考えについて書いたことはなかったけど、ユージーン・シホフツェフの伝記では、「エヴェレットは自分の多世界理論が彼に不死を保証すると固く信じとった。彼の意識は各分岐で死に至らへん道筋に従うように束縛されてて、そんでそれが無限に続く」と述べられとる。

量子不死の条件と批判

悲しいことに、少なくとも我々の分岐では、エヴェレットは困難な人生を送った。広く拒絶された後、彼は内向的になり、学術的な仕事を得ることに失敗し、過度に飲酒・喫煙して、最終的に51歳で心臓発作で死んだんや。

テグマークはこれが自宅で行うことを勧める実験やないことをはっきりさせとる。俺もここでその点を強調したい。自宅でこの実験に取り組むのは信じられないほどバカで、愚かで、間抜けなことやと思うし、このビデオの残りでなんで俺がそう思うかがますます明らかになってくると思う。

でも仮説的に、テグマークはこの不気味な実験を本当に機能させるために3つの基準が必要やと主張しとる。基準1は、ランダムな決定が量子的でなければならへん。2は、あんたが知覚できる時間スケールより短い時間でもたを殺すか無意識にせなあかん。3は、本当にあんたを殺さなあかん、ひどく傷つけるだけやったらあかん。この3つの基準を満たせば、あんたは何度も何度も奇跡的に生き残るっちゅう議論やな。

2001年の講義で、哲学者デイビッド・ルイスはこの量子ロシアンルーレットのゲームを広い不死性に拡張した。彼は宇宙全体が最終的に量子イベントによって支配されてて、そやからすべての死因がテグマークの1番目と3番目の基準を満たすと推論した。

例えば、道路で車があんたを轢こうとしてるとき、その車両があんたを通り抜けて何の害も与えへん可能性が途方もなく小さいけど存在する。多世界によると、あんたのバージョンはそのような遭遇を生き残らなあかんのや。

実際、デイビッド・ルイスが正しければ、最終的に我々一人一人がいつか多世界からの個人的証拠を得ることになる。我々は常に生命を脅かす自動車事故を逃れ、健康上の恐怖を生き残り、最終的に友人や家族より長生きするように見えるやろうからな。

テグマークはデイビッド・ルイスの立場と一致してへんけど、2番目の基準を通してや。ほとんどの死因は我々の知覚時間スケールより速くないからな。それらはもっと典型的に我々の精神的能力の緩やかな悪化で、我々が徐々に経験できるもんや。

でもルイスはこの点さえ予想してたようで、率直に言って暗くて恐ろしい予測を我々全員に対してしとる。ルイスは一般的にあんたは確かに悪化するけど、特に健康に出てくる必要はなくて、各瞬間を生き残りさえすればええって認めとる。時間が経つにつれて、ガリバー旅行記のストラルドブラッグや『彼女になった死』の主人公のように、ますます悪化を蓄積するやろう。

ルイスは書いとる。「致命的な危険を何度も何度も生き残るにつれて、繰り返しの害を被ることも予想すべきや。愛する人、目と手足、精神力と健康を失うことを予想すべきや。そのような条件での永遠の命は永遠の苦痛の人生に等しい」これが我々全員を待つ運命なんやろか?

意識と自我の問題

量子不死はとても個人的やから、尋ねるべき良い質問は、我々自身の世界の経験がその予測と一致してるかどうかや。そやからテグマークの2番目の基準の前半を再考してみよう。あんたは死ぬか意識を失わなあかん。テグマークがこの2つの状態を同一視するのは既に自明やないけど、どちらの状態でもあんたは何も知覚できひんっちゅう理由やと思う。

物理学者アンソニー・アギーレは著書『宇宙の公案』でこの点にしがみついて、我々が麻酔されたり、さらには眠ったりするときの意味を考えとる。我々全員が証言できる経験やな。我々は毎晩、毎晩ずっと起きとった分岐に住むべきやと主張できるかもしれへん。眠る分岐は我々には知覚できひんからな。でも当然、眠ってても夢のような意識の縮小した形がある。さらに、これらの縮小した意識状態は永続的やない。どちらの分岐でも8時間進めると、意識のあるあんたのバージョンが見つかるやろう。

もう1つの人間原理的攻撃は凡庸の原理を呼び出そうとすることや。もし我々が本当にますます老朽化した状態で永遠に生きるんやったら、我々全員が今楽しんどる相対的な若さよりも、その状態で生きてる年の方がはるかに多くなるやろう。実際、あんたの存在の物語では、通常の年齢と呼ばれる人生の瞬間よりも、ストラルドブラッグの年に住んでる可能性がものすごく高いやろう。

俺はこれが説得力のある反論になってると思うけど、終末論証やボルツマン脳の議論で使われるのと同じ種類の推論で、参照クラスの問題で挑戦できるもんや。たぶんあんたの将来の状態はこの現在の状態とはかなり違ってて、そやから実際にあんたは若いっちゅう現在の参照クラスの凡庸な位置を占めとるんや。

修正強度規則への疑問

我々の最善の努力にもかかわらず、これらの懸念は量子不死に決定的な打撃を与えることはできへん。でもルイスの議論を再考すると、全体のアイデアに挑戦する疑わしい仮定を発見できる。宇宙の働き方についての仮定やな。

デイビッド・ルイスの不死の場合の中心的な推論線は、彼が「修正強度規則」と呼ぶもんで、多世界解釈の議論での絶え間ない緊張の話題により広く関わっとる。

生命を脅かす量子が引き起こされた出来事が起こって、4つの異なる同様に可能性のある結果があり、そのうち3つであんたが死ぬとしよう。コペンハーゲン解釈では、ボルン則を使って各結果に25%の確率を単純に割り当てて、実際に1つだけが起こるやろう。でも多世界では、4つ全てが100%の確率で起こる。当然、すべてが100%の確率で起こるんやったら、理論は本当に予測力を欠いて、そやからエヴェレット主義者は各現実が25%の存在測度や25%の強度で起こると言うことでこれを回避するんや。これもまたボルン則から取られたもんや。

あんたの意識は確実に一度に1つの現実にしか住めひんから、この陰惨なシナリオでもあんたが死ぬ75%の可能性があると推論するかもしれへん。多世界解釈でもな。でもルイスのトリックはあんたが死ぬ全てのケースを捨てることや。「死は忘却やから」っちゅう理由でな。死んでることの経験は、そのような経験がないから、どの程度でも決して期待されるべきやない。

あんたが死ぬ分岐を捨てて再正規化するこの行為をルイスは修正強度規則と呼んで、量子不死の場合にとって極めて重要やけど、多くの思想家がこの手品に異議を唱えとる。

例えば哲学者デイビッド・パピノーは書いとる。「エヴェレット主義者がこのように強度規則を修正すべき理由は決して明らかやない。他の場所と同じように、生死の状況で修正されてへん強度規則を適用することは彼らにとって完全に開かれとるように思える」

多世界のチャンピオン、デイビッド・ドイッチュもここで反発しとって、著書で「確率を適用するこの方法は、通常のもののように量子理論から直接従うもんやない。追加の仮定、つまり決定を下すとき、決定者が不在の歴史を無視すべきやっちゅう仮定が必要や。俺の推測では、この仮定は間違っとる」と書いとる。

言い換えると、宇宙が分裂するとき、あんたが生き残る道を辿るっちゅう保証は決してあらへんのや。

俺はパピノーとドイッチュが素晴らしい指摘をしてると思う。ルイスが処方する方法で死の分岐を割り引くことができるかは確かに全く不明やけど、どちらも彼の主張を偽ることはできひん。確かに彼はここで余分な仮定を追加したけど、それが間違ってるっちゅう意味やない。それは合理的な視点から来てるんや。

意識と自我の本質

量子の奇妙さがすべて飛び回ってて、何が現実で何がそうやないかを知るのが困難になっとる。そやから代わりにもっと従来のアナロジーについて考えてみよう。

一般的な死亡率から離れて、テグマークが先ほど説明した量子ロシアンルーレット例のもっと尖った事例に戻ろう。この実験の示唆に富むアナロジーは、あんたをビームアップして他の場所で再物質化するスタートレックのスタートランスポーターの一種を想像することや。

ビームアウト前にはあんたが1人、ビームアウト後にもあんたが1人や。確実にスタートレックでは、ほとんどのキャラクターはこのプロセスを気にしてないようやから、完全に安全で死の機械やないと仮定しよう。でも代わりに、何かの転送機の故障で2つのバージョンのあんたが作られたとする。あんた自身の生存に関しては、これは本当にあんたを悩ませるべきやない。あんたは持続するやろう。あんたをクローンすることの倫理は、恐らく懸念のポイントやけどな。

この分裂は多世界で起こることと正確にアナロジーや。あんたの意識、あんた、何と呼びたくてもええけど、1つの体にしか住めひんのに、両方のバージョンのあんたが自分が本物やと主張するやろう。そやからどちらのバージョンのあんたが本当にあんたなんやろか?

最後のひねりとして、2つの再物質化のうち1つが失敗して、転送台に血まみれの肉塊を残すことを考えてみよう。あんたはその転送台に足を踏み入れることに合理的に動揺するかもしれへん。50%の確率で死ぬことになるからな?でも一方で、そのあんたの死んだバージョンは意識を経験するほどに物質化さえしなかった。そやから確実に、あんたがその肉の塊になることは不可能やろう。

さらに進んで、乗組員が2番目のビームの再物質化を試みることさえしなかったと言うことができる。故障が検出されて、ファイルがコンピューター内で削除されたんや。この場合、我々は1対1のビームアウトの元のシナリオと正確に同等やないか?その場合は少数の人が反対したけどな。

公平に言うと、俺はあんたに従来のアナロジーを約束したのに、転送機について話し始めた。そのような機械が本当にどう働くかを理解してへんから、おそらくここでの混乱にさらに混乱を追加するだけやな。

そやから代わりに、ショーン・キャロルが著書『何かが深く隠されている』で述べた古典的なアナロジーを考えてみよう。ルイスの議論全体は、あんたが死ぬ分岐についてはあんたがそれを経験できひんから本当に気にする必要がないっちゅうもんや。でもキャロルはそれに強く反対しとる。

結局、誰かがあんたの後ろから忍び寄って銃であんたを即座に殺したとしても、あんたはそれで大丈夫であるべきやない。死んでることを経験できひんっちゅう事実は完全に論点から外れとる。殺されることを望まないのは完全に合理的や、関係なしにな。

「我々が死にたくない理由は、痛みを経験するからだけやなくて、今この瞬間から将来的に、将来死ぬっちゅう考えが俺を悩ませるからや?誰かが『あんたはその日に死ぬ』って言ったら有用な情報かもしれへんけど、俺は悲しいやろう?その日が近かったらな。量子不死実験でも同じことが当てはまると思う。あんたが死んだ全ての分岐で、あんたが死んでるから重要やない、何も感じひんっちゅう動きは買えへん」

時間スケールの問題と存在測度

残念ながら、この量子不死議論全体を生み出した講義を行った直後にデイビッド・ルイスは亡くなったけど、俺はもし彼がキャロルのシナリオに反発したやろうと想像する。それは全く違う獣やからな。その場合、あんたは確実に死ぬ。一方、俺はルイスは量子の図では、あんたの意識の流れが途切れることなく続くと主張したやろうと思う。キャロルの古典的実験の終局性に動揺するのは確実に合理的やけど、ルイスのポイント全体は量子版では終局性がないっちゅうことや。

量子ロシアンルーレット実験を本当に普及させたのはマックス・テグマークやったけど、あんたが本当にそのようなことを生き残るやろうっちゅう考えから彼が多少後退したことは興味深い。我々が先ほど指摘したように、彼はほとんどの死の形態が人間の知覚より速い時間スケールで起こるっちゅう彼の2番目の基準に失敗することを指摘しとる。

でも俺には、この基準があんたの継続的生存を本当に保護するかは深く不明や。特に、哲学者チャールズ・セヴンスは時間スケールは無関係やと主張した。量子銃が発射された後、弾丸があんたに到達する前に、宇宙は既に2つに分裂しとる。両方のバージョンが信頼できるようにあんたと呼べるもんで、そやからあんたはそのうちの1つで死ぬやろう。

俺はその点だけで、なんであんたがこの実験を決して試すべきやないかっちゅう非常に説得力のある理由になってると思う。実際、本当に瞬間的な物理プロセスは存在せえへんからな。

でもテグマークや他の人たちも、多世界が異なる分岐間の確率や存在の測度をどう扱うかっちゅう厄介な問題に悩まされとる。俺はこれが他の何よりも、多世界解釈の批判者がしばしば持ち出す問題やと思う。これらの結果すべてが100%の確率で起こることがどうして可能やねん?

例えば、大量の量子ロシアンルーレット実験の後、あんたが生き残る世界の数は天文学的に小さい。これはあんたを悩ませるべきやないか?物理学者レフ・ヴァイドマンは同意して、死んだ後継者のいる世界の大きな測度はプレイしない良い理由やと書いとる。

でも実際、我々はみんな既に低測度やないか?結局、ビッグバン以降、無数の分岐が起こって、あんたがたまたま生まれてここにいる世界の数は信じられないほど小さな分数やろう。そやからこの論理によると、あんたは今ここにさえ本当におるべきやないんや。

意識と自我の哲学的問題

そんで最終的に我々はこれに至る。この奇妙な概念は量子現実と同じくらい心の理論についてのもんや。この議論全体を通して潜在的な問題は、あんた、あんたの意識、あんたのアイデンティティ、あんたの自己について話すことが本当に何を意味するかやからな。これはおそらく人類が長年にわたって格闘してきた最も困難な問題や。そして想像できるように、合意はない。

俺のコロンビアの同僚ブライアン・グリーンはこう考えとる。各コピーはあんたや。あんたが何を意味するかっちゅう偏狭な考えを超えて心を広げる必要があるだけや。これらの個人はそれぞれ自分の意識を持ってて、そやからそれぞれが自分があんたやと信じとるけど、本当のあんたは彼らの総計や。

対照的に、レフ・ヴァイドマンはもっと実用的な見解を取って、「異なる世界に多くの異なるレフがいるけど、別の俺がいると言うことは無意味や。言い換えると、分裂時に俺と同一の存在が各世界におって、我々全員が同じ源から来た。それは今の俺や」と述べとる。

哲学者デイビッド・ウォレスはこの見解をもう少し深く掘り下げて、「俺」の感覚は、アイデンティティが量子多元宇宙の単一分岐に限定される場合にのみ意味を持つと論じとる。これがどう起こることができるかは明らかやないから、ウォレスは我々が無意識のうちに多世界が複数の自己の概念やなくて、むしろ自己の概念全体を解体してることを実証したかもしれへんと結論づけとる。それはあんたに本当の意味を否定しとるんや。

俺はいわゆるブラックホール情報パラドックスに関して量子理論で激化してる別の議論を思い出さずにはいられへん。それについては我々の初期のビデオを見ることができるけど、2つの一見健全な理論、量子力学と一般相対性理論が衝突して矛盾する結果を含意する例や。

ここでは量子力学が自己と衝突してて、再び結果は我々の基本的理解に何かが間違ってることのようや。実際、宇宙学者デイビッド・アギーレは、この大混乱全体は多世界と心の理論の我々の現在の理解に対する帰謬法として特徴づけることができると論じとる。

歴史的出来事と量子不死

1962年10月27日、キューバミサイル危機の真っ只中、キューバ近くのソビエト潜水艦がアメリカの駆逐艦に包囲されて、探知を避けるために潜水せなあかんかった。モスクワと連絡を取れへん間に、アメリカ人は潜水艦に浮上を促すために模擬爆雷を投下したけど、ソビエトの艦長はこれが本物やと思って、アメリカ人に対して10キロトン核兵器を発射するよう乗組員に命令した。

政治将校は同意したけど、副長のヴァシリー・アルヒーポフは同意せんで、艦長を発射から思いとどまらせることができたんや。第3次世界大戦はその日も、それ以来も起こってへん。当然、もし起こってたら、我々の誰もここにおる可能性は低いやろうからな。

多世界解釈では、我々は決してそれが起こった分岐に住むことはできひん。我々は死んでるからな。実際、たぶん歴史全体は、あんたに至るように何らかの形で共謀した一連の起こりそうもない出来事や。そうしなかった分岐では、あんたはそこにおらへんからな。

俺は不死の概念を、間違ってると感じるか単に好かへんっちゅう理由で否定することは簡単で少し怠惰やと思う。でもそれを完全に厳密に否定して多世界解釈を保持することはより困難や。

最終的に、この種の思考実験は我々がもっと作業する必要がある場所、我々の理解が道の終わりに達する場所を見るのに役立つ。情報パラドックスのように、俺はこの考えに何か深遠なもの、我々が本当に誰であり、現実の性質についての教訓があると思う。

個人的に、多世界が真実でも、俺はルイスのストラルドブラッグの不死のアイデアは飲み込みにくいと思う。結局、多世界は何でも起こることを許すわけやない。結果はまだ物理的規則に支配されたシステムから出てくる。さらに、少なくとも俺には、現在のもんよりもはるかに古い状態に現在住んでる可能性がはるかに高いやろうっちゅう事実に概念全体が反してるように思える。

でもすべてに希望の光がある。多世界では、これらの複数の分岐で本当にあんたが誰かっちゅう心配全体を排除しても、確実にこれらの他の分岐では、あんたと俺のドッペルゲンガーがそこにおって、彼らの人生を生きてるやろう。

量子不死議論の批判者でさえ、ピーター・ルイスは著書『量子存在論』でこの論理に同意して、「確実に多世界理論は次の結果を持つ。将来の任意の時点で、あんたの生きた後継者を含む分岐がある」と書いとる。

そやからたぶんあそこで、どこかで、ヒュー・エヴェレットは94歳でまだ生きてて、おそらくひ孫に囲まれて物理学のノーベル賞を持っとるかもしれへん。デイビッド・ルイスが量子不死についての議論を続けるために友好的なチェスのゲームのために立ち寄ったばかりかもしれへん。

そしてこれらの他の分岐の中で、我々はすべての希望と夢が実現し、より良い世界、より幸せな人生への憧れを想像することを楽しむかもしれへん。我々が異なる選択をし、愛する人がより長く生き、歴史が異なって展開した島宇宙にアクセスすることは決してできひんけど、それらは存在するんや。

それは我々にそのような夢が実現可能やっちゅうことを証明してくれる。そして俺はそれが途方もない霊感と慰めの源になることができると思う。

そやから次回まで、思慮深く、好奇心を持ち続けてな。

このビデオを見てくれたみんな、ありがとうございました。楽しんでもらえたら嬉しいです。もしそうやったら、いいねとチャンネル登録ボタンを押してください。本当に我々の助けになります。

そして最新の支援者、ドリュー・アーロンとゲリット・トムセンに感謝したいと思います。支援してくれてありがとうございます、みんな。もしあんたも俺のチーム「Cool Worlds Lab」の支援者になりたいんやったら、上と下のリンクを使うことができます。coolworldslab.com/supportです。

そやから次回まで、あそこで頑張ってな。

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