142 – アンドリュー・ミントン – 目的主導型プレイ – 共同創設者兼CEO – Hangry Animals

ゲーム
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この動画では、Hangry Animalsの共同創設者兼CEOであるアンドリュー・ミントンが、ゲームと慈善活動を組み合わせた革新的なアプローチについて語っている。彼が4年間かけてスケッチブックに描きためた35体の動物と人間のハイブリッドキャラクターを使い、ゲーム体験を通じて寄付を促進する仕組みを構築している。従来の寄付の押し付けがましい手法ではなく、ゲーミフィケーションを活用することで、特に若い世代が自然に慈善活動に参加できる環境を作り上げようとしている取り組みが詳しく紹介されている。

#142 - Andrew Minton - Purpose Driven Play - Co Founder & CEO - Hangry Animals
What if your doodles could help change the world?In Episode 142, Andrew Minton, co-founder of Hangry Animals, reveals ho...

Purpose People ポッドキャストへようこそ

みなさん、こんにちは。Purpose Peopleポッドキャストへようこそや。今日はHangry Animalsのアンドリュー・ミットンさんに再びお越しいただいとる。ソファーに戻ってきてくれて、ほんまにありがとうございます。

すごいな、ありがとう。こちらこそ。

前回お会いしてから、いろいろ変わったやろうな。せやから、今何やっとるか教えてもらって、それから時間を遡って話していこうか。どうや?

うん、そやな。絶対にそうしよう。今はな、ゲームと体験、それにエンターテイメントのタッチポイントのシリーズを作っとるんや。俺が作ったキャラクターのスイートを使ってな。でも唯一の目的は、ゲームと善い目的を組み合わせることなんや。つまり、ゲームと慈善団体への寄付をな。

ええやん。

作ったキャラクターについてやけど、全部オリジナルなん?

そや、全部俺のスケッチブックから出てきたもんや。夜中にちょこちょこっと落書きしたり、コンセプト考えたりして、たぶん4年ぐらいかけて少しずつ削って、スケッチして、あらゆる種類の動物と人間のハイブリッドを思いついてきたんや。35体ぐらいキャラクターおると思うで。今のところ、そのうち5体だけが表に出てきとる。

誰かをモデルにしとるん?

直接的には違うな。でも影響はあるで。見て「あ、これ俺やん」って思うことはないやろうけど、まあムースは別かもしれへん。マーヴ・ザ・ムースには俺の部分がかなり出てきとると思う。いろんなもんを試したり、アイデアで遊んだりするジョーカー的な部分がな。せやから、その性格の一部が俺から出てきとると思うけど、他のは単純にいろんなコンセプトのハイブリッドや混合体やな。

キャリアの融合とスケッチブックからの解放

面白いのは、あんたのキャリアがすごく多様なことやな。パペット操作もやったし、動画や映画、それにゲームもやっとる。これって、そういうもん全部が一度に融合してきたってことなん?

そやな、まさにそれや。発見と探求の全体的な弧があるんや。キャリアを通してな。代理店生活もあったし、いつもブランド戦略におったし、クライアント向けのフロントエンドや体験を作ってきた。

前にも話したけど、俺のスケッチブックのアイデアはいつもスケッチブックの中に留まってて、出口を見つけられへんかったんや。でも27年の弧を経て、今やっと一緒になってきとる。せやから、そのアイデアを紙に、外に持ち出してきてるんや。

27年かけて作ったんやな。

絶対にそうや。

Hangryという名前の由来

Hangryって名前はどこから来たん?

それはな、初期に一緒に作業してた共同創設者との繋がりの混合やと思う。これは最初、デジタル・コレクタブルとして始まったんや。NFTが起源やった。何か作ろうってのが始まりで、まだあるん?みたいな感じで、背景のどこかにな。でも単純にそれから始まって、周りに小さなコミュニティができたんや。

でも全部、共同創設者が俺に「Hungry Hipposっていうコレクション作ったらどうや?」って言うたところから始まったんや。俺は「おい、訴えられるで。何か知らんけど、何かあるやろ、でもそれは美しいゲームや」って言うたんや。

でも俺は「それやったらスコープと思考が限られすぎるな、何かについて考えよう。せやから、動物に拡大したらどうや?そしたらカバだけじゃない宇宙を作れるやろ?」って言うたんや。

せやから、そこから5つのコアキャラクターを提案して、Hangry Animalsが生まれたんや。

すごいな。

ゲーミフィケーションを通じた寄付の新しいアプローチ

目的の側面で俺が好きなのは、寄付を得るためにゲーミフィケーションを使ってることやな。最近気づいたんやけど、ガソリンスタンドに行くと「20ペンス寄付しますか?」って聞かれるやろ。カード決済があるところほぼ全部で聞かれるようになった。寄付を求められるんや。

その場で決断を迫られるような圧力を感じるんや。イエスかノーか、イエスかノーかで、相手も見てるし、感じ取れるやろ。でもゲームを通してやるのは、寄付の自然な発展のように思えるし、もっとインタラクティブになれるんや。プロセスについて話してもらえる?

そやな、確かに。まさにあんたが言うとおりや。デジタルプラットフォームを通じて寄付する機会のメカニズムやコンセプトが、今まで以上に見えるようになってる。若い層はデジタルやソーシャルメディア、そういうプラットフォームに注目してるし、小さな慈善団体が寄付を得る従来の手段は、特にそれを促進するデジタルインフラがない場合、非常に困難や。

Just GivingやGoFundMeみたいな大きなところはあるけど、若い層からは離れてるように見えるんや。

せやから、ゲームの購入を通して、その一部が慈善団体に帰属するような仕組みがあったらええねん。それか、アップグレード、つまりDLC(ダウンロード可能コンテンツ)パックやゲーム内アイテムや要素みたいなもんを通してな。

俺らは実際に、そういうピースが実現できるエコシステムを構築してるんや。摩擦の少ない、有料の壁やエクスペリエンスの邪魔になるようなメカニズムがないもんをな。今そのR&Dをやってて、スイートスポットは何か、機会はどこにあるか、そうすることの利益はどこにあるかを調べてるんや。

寄付における心理的障壁の問題

そやな、昔ガソリンスタンドには横にプラスチックの募金箱があったやろ。車に給油して5ペンスお釣りが足りへんかったら、5ペンスのお釣りをくれて、自然にみんなそこに入れてた。実際に聞かれてるわけやないからな。

でも今は機械で聞かれるし、デスクの後ろの人も「いや、押すだけでええで」みたいに少し気まずそうに身を乗り出してやってくれる。

せやから、それがどれだけ良い結果出してるか、成功してるか、フィードバックはどうかの統計を見るのはすごく興味深いと思う。俺は少し気まずく感じるからな。慈善団体に寄付したいですか?って聞かれて、たいてい誰にかも教えてくれへん。

せやから、それが俺の最初の疑問や。誰に寄付してるか知りたいねん。もしかしたらオーナーの銀行口座かもしれへんし。でもポイントは、質問をせなあかんねんけど、それが自然な質問やない。気まずい質問なんや。

テスコで歩いてて、クリップボード持った人に直接引き落としのサインアップを迫られるのと同じやな。その会話を回避しようとするやろ。

実は新しいの学んだんや。この前映画見てて、どこで見たか忘れたけど、電話してるふりをしてたんや。

そんなんあったな。

そやろ?この前テスコにおった時、「あ、いや」って感じやった。

でも本当やろ?その躊躇や障壁をどうやって乗り越えるか。それが俺らの研究でやってることや。何が快適で、社会的インパクトを感じられるか、十分な情報を提供して、メカニズムと善い目的の両方について理解してもらえるかを理解しようとしてるんや。

せやから、俺らが一緒に働く慈善団体の審査されたスイートがあるはずや。

それが俺にとっての本当に興味深いモデルに全部つながるんや。俺にとっては、寄付する選択やないねん。考える十分な時間を与えられてないことや。クリップボード暗殺者って呼ばれる人らの問題も、プレッシャーを感じることや。

彼らが何をしたいか説明して、結局「サインしてもらえますか?」って言うのは、最終的に彼らがサインアップさせるためにお金もらってるからや。俺にとっては「パンダを救いたいですか?」なんて、今朝の予定にはなかったで。

確かに。俺が寄付する時は、絶対にもっと考えてからや。自分の寄付をコントロールしたいねん。プレッシャーを感じるより。それが意味わかるやろ?すごく興味深いバランスや。

個人的な動機:ペットとの体験

せやから、どうやってここにたどり着いたん?あんまり詳しく話さんでもええで。

いや、いやいや。根底にあるのは、犬やペットの飼い主であることやと思う。18年近く犬を飼ってた。

何匹犬飼ってたん?

2匹や。両方とも亡くなった。それが俺らにとって、「よし」って感じの出来事の一つやった。

けっこう近い時期やったん?

年齢は1歳違いやったけど、1匹目が2020年に亡くなって、去年の10月に若い方が亡くなったんや。せやから、その日常なしに何かを作ることに集中する時間ができたって感じや。ペットや動物は家族や家庭への素晴らしい貢献やけど、ある状況では束縛にもなる。

やりたいことができへんようになったり、規律として探求したい側面を探求できへんようになったりする。

昔、これが漫画やアニメシリーズ、それに善い目的のためのストーリーテリングを中心としたゲームになったらどうやろって考えてたんや。

せやから、ゲームやアニメコンテンツを通して、善い目的や慈善目的、そしてこの惑星の動物たちの窮状について意識を高める、線形と非線形の両方のストーリーを若い観客に響く方法で語ることができるんや。

せやから、これらのキャラクターがそのターゲット層にアピールするというアイデアがいつもあったんや。でも目的もある。教育的側面があって、俺らがやってることは単純にお金を稼ぐIPスケーリングの蛾みたいなもんやない。彼らが言おうとしてること、なぜ存在するかには、いつも目的があるんや。

ゲームの影響とメカニズム

明らかにメカニズムはゲームやけど、ゲーム人生からの影響はあるん?あんたがゲーム好きなのは知ってるけど、ゲーム人生からの影響で、あんたが言うんやないけど、そういうのはあるん?

俺にとって本当にいいのは短いゲームやな。Job Simulatorスタイルのゲームが好きや。Power Wash、Power Wash Farm Simulatorとか。

いや、いや。それは大きすぎる?

そやな、それは俺には狂いすぎや。でもPower Wash Simulatorは基本的に車両や建物、工場なんかを高圧洗浄するゲームで、小さなタスクをやるのに魅力があるんや。単調やないけど、すごく楽しい。

そしてそこにアイデアの注入のひねりがある。ゲームの観点から言うと、俺は本当にそういうタイプの小さくて受動的で楽しい、楽しさの側面に従うゲームが好きや。

面白いのは、俺は言語学習が嫌いやねん。俺はそれが苦手やって学んだ。休暇に行く時は、すごく、何て言うか、CLAは言語をすごく簡単に話せるから、ほとんどCLAに頼るんや。CLAが俺の個人秘書みたいな感じで、知らんから彼女に聞いてみて、この言語話せへんねんって感じや。

面白いのは、Duolingoに入ったことや。アプリやツールとしてすごく粘着性があって、ゲーミフィケーションを使ってる。それで実際の問い、サインアップしない?みたいな問いが俺を悩ませへん。すごくユーモラスなんや。

俺は積極的に抵抗してるから。やらへん。お金払わへん。単純にお金払わへんねん。でも彼らが別の方法でフレーミングして「こんなんどうですか?」って挑戦してくるのがけっこう好きや。でも俺にとってその宇宙は、たぶん嫌いやったもんを今イタリア語学習に変えてくれた。

今は試さへんけど。CLAはハンガリー語学習してて、それは学ぶのが最も困難な言語の一つや。シチリアに行った時のこと覚えてるけど、10日でCLAはイタリア語覚えた。俺はユベントス、ACミラン、ナポリ、フットボールチームぐらいしか。全部サッカー中心やったのに、CLAはすぐ身につけた。

でも持ち出した理由は、ゲームやゲーミフィケーションの力は、俺らが嫌いやったり難しかったりアプローチしにくい主題を、もっと魅力的に見せることができるってことや。俺にとって言語は今生き返った。

ポイントが見えるようになった。今は挑戦として見てる。連続記録を取ったり、クレイジーなフクロウが現れて怒ったりするけど、それで何人かの人を無意識に挑戦させた。この前までそれに気づかんかった。「まだ俺に挑戦してるんか?」って言われて、「あ、あんたやったん?」って感じやった。

俺はゲーミフィケーションの原理が好きで、それが善い力として使えるってこと、俺にとって言語は、いつも苦労してたもんが、ゲーム側面のおかげで今は夢中になってる。せやから寄付でも同じで、よく「あちこちでお金求められてる」って感じやのに、「これはええな、これやったら気にならへん、けっこうクールやな」ってツールができるんや。

すごく強力やな。俺ら人間として本当に心に響くもんの組み合わせにアピールするからな。創造したい、助けたい、貢献したい、何かの一部になりたい、つながりを感じたい。

それに寄付の側面もあって、俺らが目指してることには外発的側面がある。

先行事例の検討

前にやられたことはあるん?

俺らが知る限り、この方法ではないな。

いや、挑戦的に言うてるんやないで。でも俺はこの方法では聞いたことがない。

特に俺らがやりきって、体験の中で直接的になったら。体験の中に金銭取引はないけど、寄付のための資金を作る方法がその中で利用できるなら、それはけっこうユニークや。

そこにはプラットフォームもあるし、ストリーマーもいて、大規模キャンペーンをやる人もいる。ゲームをライブストリームして、そのライブストリームにスポンサーや視聴者を通じた寄付側面があって、そこに有料側面もある。それは起こってるけど、ゲーム体験自体の中ではない。

誰かがこれをやるかもしれへん。俺は何年もこのアイデア持ってて、作ったことないねん。でも特定のミッション旅行のアイデアがあって、援助や穀物なんかを、例えばアフリカのどこか、エチオピアとかに送りたい場合の。

飛行機があって、文字通り飛行機を満杯にするんや。穀物一粒を買ったり、これを買ったりするけど、飛行機を満杯にする最後のもんを買った人が送信ボタンを押せるんや。つまり飛行機が飛んで行く。

そしたら組織が「よし、そこに物資を飛ばしてええよ」って言うんや。俺は描いて計画したこともあるけど、やったことない。俺にとって魅力的やったのは、何を買ってるかが見えることと、その周りに存在するコミュニティ、誰が飛行機を送るんか?ってことや。

変な意味で、ゲーム寄付は、人がお金をコントロールしてるなら本当にクールな方法や。欲しくないのは、12歳の娘がエチオピア全体を救うことや。

でも月の買い物が屋根を突き抜けることになる。

でも俺にとっては寄付の旅と、ゲームにいたこともあって、ゲームも好きやから、それが自然な次のステップやったんや。これらの没入型世界や没入型環境を作ってて、人は何時間も過ごすんやから、寄付もその旅の一部であるべきやと思う。

そう思う。今小さなスタジオが、既存のゲームIPの上にレイヤーとして、ウェルビーイング、善行、それに関するアンケートや調査なんかのメッセージングを持つメカニズムを統合しようとするムーブメントのざわめきがあるんや。スタジオが小さいほど、そのスタジオは機敏で、Stardew ValleyやHell Divers 2みたいなゲームに本当に興味深いコンセプトを統合できる。Hell Divers 2は暴君から世界を救うような不吉な感じや。でもその上にレイヤーとして、目的や何かに注意を引く機会があるんや。小さな側面としてな。

ゲームの教育的価値

それがポイントやな。ゲームって車でトラックを走ったり、世界に入って人を倒したり、ミッションに行ったりするもんやって思ってて、それは理解できる。でもより深いレイヤーとしてそういう他の側面があるから「ゲームやってると脳が腐る」って言われるけど、「いや、そうやない。ゲームを理解してへんから」って感じや。特定のストーリーを通して学べることがあるから。

Ghost of Tsushimaやったのを覚えてる。すごいゲーム、大規模なゲームやけど、サムライの世界、そのスケールを感じることができる。せやから歴史の授業を受けてるような感じや。

それでそのゲームをやってから、テレビ番組のShogunが出て、それが権力への上昇について教えてくれて、俺はその世界に入り込めたって感じやった。せやから俺にとってはただのゲームやない。歴史の授業にもなる。

それをメンタルヘルスなんかの側面に持っていくと、観客をもっともっと深いレベルで関与させる素晴らしい方法になる。大きなプラットフォームが今これに注目してるんやと思う。Netflixの戦略がゲームや、プラットフォーム上の非線形な体験を取り入れるように進化してるように見えるから。

ナラティブを選ぶみたいな。

そやな。それだけで俺は「次は何や?」って疑問に思い始める。俺らが明らかにアピールしようとしてる観客、漫画でもアニメシリーズの潜在的発展でも、引きつけるものは何か?俺らの年齢層は実際何に夢中になってるんか?それはFortnite、Roblox、そういうサンドボックススタイルのプラットフォームや。

彼らは実際にコンテンツを見てるんか?でもMinecraft the Movieみたいなもんや。映画自体はひどい。すまん、見たけど苦痛やった。「うわあ、目から血が出てる」って感じやった。でもその周りに全体のコミュニティがあって、ムーブメントになる。チキンジョッキーや、物投げたり、そういうクレイジーなことがあるけど、ポイントは映画のずっと前からMinecraftの周りにコミュニティが存在してたってことや。

せやから映画が良かったかどうかに関係なく、議論の余地はあるけど、コミュニティが出てきて支援したから2作目を作るように見える。それが人が過小評価してることやと思う。ゲームの世界には、年上の世代には「脳が腐ってる」って思われるオンラインコミュニティが存在するんや。

実際、俺の息子はパンデミックを乗り切れたのは、仲間がみんなゲームコンソールにいて、よくゲームコンソールでゲームを一時停止して、ただおしゃべりしてるからや。違う方法やってるんや。

Leonはオンラインでエマニュエルって男に会った。FaceTimeで数回しか会ったことないけど、彼らの関係は主にオンラインで存在してる。お互いを知って、何時間も話したりする。せやから俺にとって、ゲーム世界はすごく過小評価されてて、人がそれが何かを理解しようとしてへんからや。

ゲーマーの定義

考えるべき他のことは、本当にゲーマーを定義するものは何かってことや。Carrieは従来の意味でゲーマーとは思ってへん。コンソールがあるわけでもなく、Xboxのゲームパッドがあるわけでもなく、ファーストパーソンシューターやサードパーソンシューターに専念してるわけでもない。それが普通、ゲーマーって聞いた時に人が思い浮かべるもんや。

でもモバイルゲーム、アイドルゲーム、コレクションゲーム、そういうスタイルのゲームは、従来のゲームとは見なされてない。でもCarrieは俺よりゲームをやってる。

CLAをゲーマーって呼ぶつもりや。CLAは携帯でいつもチェスやってるから。せやからCLAはゲーマーや。ここで聞いたで。

でもポイントは、人とインタラクションしてるってことや。そういうことをやってる。俺のゲーム体験も変わったと思う。Leonが大きくなったから、彼がゲームをやって、俺はただ横に座って見てる。「あ、いや、これできるで」「いや、いや」って。

実際、彼が解決しようとするのを見るのを楽しんでる。最近Indiana Jones and the Great Circleをやってる。なんてゲームや。すごい。でも俺は、没入してると実際には見えてないねん。わかる?でも座って見てると、「うわあ、グラフィックが絶対に驚異的や」って感じや。

俺は座ってるけど、インディ・ジョーンズのストーリーみたいに感じる。映画ファンにとっては、ストーリーとしてカウントされへんかもしれへんけど、俺にはカウントされる。カノンに合ってる。ゲーム体験、キャラクター、作ってる世界の豊かさ、宇宙が今は何か別のもんとして存在してる。

俺にとって、ゲームが余分な深さをもたらしてくれるし、あんたがやってることは寄付に余分な深さをもたらしてるから、すごいことや。

ありがとう。俺の旅の興味深い発展やし、言うたように、何年かで身につけたもんやスキルの組み合わせや。俺の脳の働き方は、問題を解決して、もんを理解して、必ずしも一緒に考えられへん世界を持ってきて、点を繋げることやと思う。

最も好きなゲーム

今まででお気に入りのゲームは何や?

それは難しい質問やな。数ヶ月前にゲームジャムをやったんや。同じ質問を聞かれた。今まで遊んだ中で一番好きなゲームは何や?って。不思議なことに、俺のはGame GearのMickey Mouse Castle of Illusionや。

うわあ。めっちゃレトロやな。

すごく難しいゲームやったけど、すごくやりがいがあった。Mega Driveにもあったな。Mega Driveで持ってた。グラフィックがすごかった。パララックススクロールみたいやけど、すごく深くて、バッテンバーグケーキの背景やった。

すごく良かった。でも難しいゲームやった。すごく難しい。覚えてる。

そやな。Game Gearで遊ぶには運が必要やった。フィニッシュラインに着く前にバッテリーが切れるから。でも覚えてる、ミッキーマウスって。そのゲーム見たことないん?グラフィックを見たら「うわあ」ってなる。

すごいな。せやからMickey Mouse and the Castle of Illusion。俺も自分に聞き返してみるわ。史上最高のゲーム。俺はN64のGolden Eyeやと思う。

それを上回るのは難しいやろな。記憶の部分もあるしな。兄貴が新聞配達やってて、最初の大きな給料でN64を買ったんや。

兄貴はN64を持ってたけど、週末ずっと新聞配達に行かなあかんかった。せやから俺が週末ずっとプレイした。兄貴が戻ってきた時には、俺がクリアしてた。兄貴はすごく悔しがってた。最高やった。

でも俺は大好きやった。スナイパーとか、最初のダムでのやつとか、撃ち落とすのがな。

俺の記憶では、大学で部屋の後ろの方の遠い記憶や。家の他のみんなが一緒にマルチプレイしてて、俺は遠くから見てただけやった。でもなんてゲームやったか。

それと覚えてるのがMetal Gear Solidや。良いゲームやった。Metal Gear Solid。PlayStationで出た最初のやつで、大きくなったやつや。

その後も他のバージョンがあったけど、警報と頭上に出てくるやつがあって、すごく良かった。ええゲームがいくつかあったな。

印象的やな。Indiana Jonesの話もしたけど、今コンソールやハイスペックPCで可能なグラフィックの品質とレベルはすごいことになってる。

クリエイティブとしての俺にとって、グラフィックがリアリズムやハイパーリアリズムの領域に入った時、レトロゲーム体験の俺の一部は何か違うもんを求めてる。

256×256ピクセル解像度の低レベルグラフィックが必要かもしれへん。インディーシーンではまだそういうもんへのアピールがあるやろ?開発能力の観点からもそうやし、構築のサイクルも、グラフィックやAAに全力投球する必要がない。

ゲームの進化とVRの可能性

長年ゲームをやってきた人なら、どれだけ旅してきたかわかるやろな。Atariでボールが跳ね回ってたのから始まって、それからSpectrumに移って、Paper Boyがあって、Mega DriveのSpace Harrier、Master Systemもあった。そういうゲームを覚えてるし、TVで2、3色でゲームをやってから、アーケードに行って本物をプレイする。それからAmigaが出てきて「おお、アーケードのにけっこう近い」って感じやった。Atari STもけっこう近かった。

それから家の方が実際そこよりも良いという移行があった。

アーケードシーンはまだあるけど、昔みたいやない。俺は美学とデザインが好きやった。ブランドや変なことについて話すけど、PC MagやGamerマガジンを見てて、初めてNeo Geo、SNKコンソールを見た時、「うわあ、美しい」って思った。アーケードスタイルのジョイスティックとコンソール自体の美学やな。それが俺が欲しかった究極のもんやと思った。

Dreamcastを買ったのを覚えてる。まだ俺の好きなコンソールの一つや。すごく良かったけど、注目されなかった。

Yakuzaやったかな?男が背中にドラゴンの絵があって、茶色い革ジャケット着て東京みたいな街を歩くゲーム。

そやな。すごく良いゲームやった。グラフィックが驚異的で、小さなメモリーカードにゲームパッドでゲームがあった。

そやな。覚えてる。美学の観点からも、ジャーニーやアンボクシングの観点からも、Segaが正しくやったって感じやった。でも注目されなかった。その頃にはPlayStationが現れて、タイミングやったと思う。

タイミングが彼らに有利やなかった。Dreamcastは素晴らしいマシンやったと思う。ArsenalがシャツのフロントにDreamcastを付けてたと思うで。

そやな、付けてた。上の小さなやつ。でも、うまくいかんかった。タイミングやし、PlayStationがすごくうまくプレイした。今どこにいるか見てみ。俺はまだ大きなSonyファンや。

まだ、まだそこにいる。MicrosoftとのつながりでXboxを買う気になれへん。Appleから来てるからな。せやからそれがそこで決めてる。

ハイパーリアリズムについてやけど、Apple Vision Proとメタバース全体の世界を試してみた。

正直に言うと、フットボール体験をやった時、文字通りMSLの試合を見ることができるんや。指でやって、左を見ると誰かがそこにいて、右を見ると誰かがそこにいて、試合を見てる。ボールがクロスバーに当たって、実際に群衆を感じることができて、「うわあ、これは恐ろしいほど良い」って思った。

キットはすごく重いけど。

ハイパーリアリズムは、ゲームそのものやないかもしれへんけど、ゲームを見たり参加したりすることは、全く新しいレベルに行くと思う。メガネをかけて、みんなを見ることができる場所に置くことができる。

VRで一番感じるのは、みんなから自分を孤立させることや。でも孤立してへんけど、このメガネをかけてる。ただこうやって、そこにいるけど、誰かがそこにいるのを知ってる。何らかの理由で安全に感じる。

スポーツ観戦では、6万人のファンがいて席があって、チケットを買わなあかんかもしれへんけど、グラウンドの違う視点に座れるけど、実際にはソファに座ってるだけで、そこにいるような感じがする。すごいやろな。

すごくクールやろな。前の代理店でヘルスケア向けにVRをやってたから、バスケットボールの試合でその初期のバージョンをテストしたのを覚えてる。

うわあ。

こういう世界があって、全部が180度やったから、フル360度やなかった。180度だけで、後ろは黒くてブレンドアウトしてて、後ろが見えへんかった。でもカメラは深度があったから、2つの違うレンズがあった。

せやから深度感があった。でもこれは2017年やった。

うわあ。

2017年、2018年。その時点でも、解像度はたぶん2Kぐらいやった。目ごとに。それが驚異的やった。まさにそれや。フルブローンの試合を見てるけど、そこにいないけど、そこにいるけど、そこにいない。

知覚の側面がけっこう魅力的や。体験の外にいるけど、既存の世界を見ることができて、それがオーバーレイされてるなら。仮想現実やなくて混合現実なら、混合現実が前進する道やと思う。基盤を保ちながら、拡張された体験やからな。

例えば、運転やろ?マシンでゲームをやって運転してる時、Formula 1でも何でも、参照カウンター、画面上の全部がある。俺は何年も言うてるけど、それが画面上にあるのは絶対に意味があると思う。

そこにあるから何やってるかわからへんってことやなくて、そこにあるんや。ゲーマーとしてレースしてて、これが全部そこにあるけど、全部取り入れながらも運転したいねん。車には入ってへんけど、スピードメーター表示が画面に出るようになってきた。

そんな感じで跳ね上がって。せやから見え始めてるけど、長期的には運転してる時、6マイルって看板があって、場所の名前を読む時、ここから6マイルとか、どこそこから6マイルとかも出てきて、それも起こると思う。

ゲームが与える影響はたくさんあると思う。例えば映画のクレジットとかでも。俺らがいる場所により近く、より近く、より近くブレンドしてる。

Black Mirrorを見てた。昨日Black Mirrorのエピソードを見てて、それはBander Snatchからの続きやった。自分で冒険を選ぶ体験やな。俺らは両方とも座って「ちょっと待て。このキャラクター、認識してる。前に見たことあるけど、これはあのワンショット体験やない」って言うてた。

それでそれの続きやったことがわかった。本当に魅力的で、あんたに同意する。アイデアの融合が起こってるんや。俺ら人間が公式を理解したら、ストーリーやもんがどれだけ深いかを計算して理解したら、俺らの脳はスイッチを切る。退屈な状態になる。

それが最近どんどん早く起こるようになってる。俺らがもんに合わせられてるからな。でもこれは本当に興味深かった。関与し続けさせてくれた。魅力的な世界や。

Hangry Animalsの将来計画

せやから、寄付を超えたHangry Animalsの計画は何や?映画やアニメシリーズみたいなアイデアはあるん?エンドゲームは何や?

エンドゲームは、ゲームのスイートに補完されるワンショット映画やアニメシリーズやと思う。でも大きなもんがあって、アイデアの弧を通して存在してきた観客参加についての巨大なアイデアがある。

それは、ゲームをプレイすることで、基本的にアバター、キャラクターを訓練したりスキルアップしたりしてるってことや。各キャラクターのポイントのリーダーボードを登ることやな。

俺らは本当に、ゲーム参加、寄付参加がそのリーダーボードを登るのを見たいねん。個々のキャラクターがそれぞれアニメシリーズで役割を演じる資格を得るんや。

アバターやから、キャラクターをカスタマイズできる。違うスキンや違う服、ジュエリー、カスタマイゼーションやキャラクターの個人化に付いてくる全てのもんを着けることができる。

せやから、そのキャラクターでプレイして、リーダーボードを登って、ゲームプレイのシーズンの特定の瞬間でリーダーボードのトップにいる人がいたら、そのキャラクターを取って漫画やアニメ番組に入れることができるんや。

せやから、コミュニティに没頭してる人が、大きな世界での社会的インパクトやから利益を見るけど、彼らが一緒に組み立てた創作の一部、表現の自由が画面に映るのを見るという成長、認識も見ることができる、すごく良いラウンドロビンになる。

でもそれはマスコットの側面を取ってるやろ?一つやなくて、もっと深いレベルで。カスタマイズできる。成長できる。集合的やしな。

商品の計画もあるん?

いつも。もうテストした。この前Hangry Animalsの帽子かぶってたやろ?

そやな。それは良い経過をたどってる。これはたぶん4年ぐらい前のもんや。刺繍がどんな感じになるか、「あ、クールやな」って思って最初にテストしたんや。

Hangry Animalsのコンセプトの背後には別のビジネスがある。代理店や。俺と妻のCarrieが運営してる小さなクリエイティブ代理店、Hangry Studioがある。

それがまさに請求書を払うもんや。俺らがやりたいことをやらせてくれるもんで、Hangry Animalsをより深く掘り下げさせてくれるけど、いつもヘルスケアや社会的インパクトに興味のあるクライアントと働こうとしてる。

好きなクリエイティブ分野

せやから、今までクリエイティブにやってきた全てのことで、スケッチでも撮影でもアニメーションでも3Dでも、VRでもARでも、お気に入りの分野は何や?

お気に入りの分野。良い質問やな。一番フローを見つける場所やと思う。2Dコンセプトから3Dアートへ、モデリング、テクスチャリング、それを肉付けしていく。

その旅が俺にとって一番喜びを見つける場所やと思う。そこで一番ハイパーフォーカスしてるのを見つけるやろな。食事を忘れる、そういう世界や。

でも今まで話したことで、パペット、ライブアクションパペットはすごいことや。すごくやりがいのある工芸やけど、本当に疲れる。長い一日やな。

でも他は全部、本当に全部やるのが喜びやった。でも3Dは2Dコンセプトスケッチから3Dで視覚化するまで。それは確実に俺にとって大きなもんや。

ええやん。妻と働くのはどうや?

すごいで。彼女は違うこと言うかもしれへんけど、もっと早くやっとけば良かったって思うかもしれへん。

そやな、そう思う。自分自身について知ってることと、去年半でADHDと診断されたこと、それが俺の動きや対処メカニズムを知る本当の目からウロコやった。

Carrieが俺がそれを形作って、あんまりうまくいかへん日々に構造を提供するのを手伝ってくれる上で重要やった。でも勝利も一緒に祝うし、前は他のガイズ、他のプロジェクトやビジネスで勝利を祝う時間を見つけるのがけっこう難しかった。

でも今は確実に時間を使って、そうするように心がけてる。

本物の目的への取り組み

俺が思うのは、Humansでも話したし、あんたら両方のストーリーや共有したこと、歩んできた旅を知ってることやけど、あんたら両方から伝わってくるのは、本物にインパクトを作りたいってことや。あんたら二人が一緒に空間で活動してるのを見てて、自然に見える。一緒に働くのが自然な適合に見える。

「相手と働くのは最悪なことや」って言う人もいるけど、俺とCLAもやってる。俺が最高のボスかどうかわからへんけど、でも俺らにはうまくいく。他の方法は考えられへん。一緒に何かを作ってる、一緒に冒険してるって感じるから。

みんながそれをできるわけやないけど、確実に俺にとって、目的の観点から、それがそれを価値あるもんにしてることや。

同意するわ。考えたことなかった。代理店生活やったと思う。虚勢の側面があって、やらなあかん世界に落ちる。実行せなあかん、パフォーマンスせなあかん、壁を作る。許可や自由を与えてくれへん領域やから、そうすべき時に本音を言えへん。

でもビジネスと人生のパートナーを理解して、脆弱性や懸念、集中すべきこと、それに付いてくる全てについてもっとオープンにコミュニケーションすると思う。俺はそのおかげでもっと良い人間になった。

企業生活がほとんどの人の目標やったのに、今はそうでもない。COVIDが来て、25年勤めた後に捨てられる準備ができてる。「そんなん期待してへんかった」って感じや。

ファミリービジネスって言葉が戻ってきてると思う。一般的に人がそう考えるようになってる。「いや、家族のため、次の世代のために何かを作ろう。それが彼らやなかったら、誰か他の人に渡せる」って。でも一緒に働いて何かを届けるって発想や。

農業みたいに、そこにある商売では、ファミリービジネスで、働く他の方法がない。これが俺らの働き方や。クリエイティブは珍しいと思う。良いことやと思う。

大好きや。今起きるのは、前とはすごく違う。前のエンティティからのビジネスオーナーでも、代理店で働いてるのでも。

今起きて一日に取り組みたいって思うのは、目的があるって感じるからや。ミッションがある。その旅を楽しんでる。

今後の展望

すごいミッションで、俺にとっては全部作られて実際に見られるまで待ちきれへん。映画やおもちゃを見るのを楽しみにしてる。

あそこにHangry Animalsのセットが欲しい。それがいつも俺の究極の目標や。自分の創作物のビニールのおもちゃを棚に並べることや。

すごいやろな。あんたがたぶん一番近いのはムースって言うてたな。

そやな、たぶんそうや。マーヴ。マーヴ・ザ・ムース。

あんたがどの動物やと思うか聞かへんけど、オフエアで教えてくれるわ。

オフエアで教えるわ。少し考えといて。でも聞いて、Hangry StudioでもHangry Animalsについてでも、あんたらがやってるミッションについてもっと知るために、人はどうやって連絡取ったらええん?

hungryanimals.comで、プロジェクトとミッションについてもっと知ることができる。連絡してくれたらええわ。

すごいな。時間を取ってくれて、ほんまにありがとう。素晴らしかった。

ありがとう。何時間でもゲームについて話してられるわ。観客が楽しんでくれるかわからへんけど、俺は楽しい。何人かゲーマーもいると思うしな。ほんまにありがとう。感謝してるわ。

ありがとう。

みなさん、Purpose Peopleポッドキャストを聞いてくれて、ほんまにありがとう。俺らを助けてくれる方法は、YouTubeチャンネルにいいねと登録をすることや。Apple、Spotify、Google、Amazonでポッドキャストに登録することもできる。それが俺らのメッセージを広めて、人が夢を追いかけ、それに集中して、自分の条件で人生を成功させるのを助けることにつながるんや。

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