この動画では、生物学者ルパート・シェルドレイクが意識の在り処について議論し、従来の物理主義的世界観に対してパンサイキズム(汎心論)の観点から挑戦を行う。彼は意識が脳内に限定されるのではなく、宇宙全体に遍在する可能性を提唱し、太陽や銀河、さらには宇宙全体が意識を持つ可能性について論じている。また、宗教的・霊的伝統における意識観との関連についても言及している。

意識の在り処についての根本的な問い
そんなら、大きな自己組織化システムでも小さなシステムでも、太陽も含めて意識があるんちゃうかって期待できるわけや。
ありがとうございます。意識について話をさせてもらうんやけど、ほんまに驚くべきことは、自分の意識についてどんだけ知らんかっちゅうことやな。それが私らの存在の根本やのに。
そんで、私らがほとんど知らんことの一つが、意識がどこにあるかっちゅうことや。今私らがおるこの場所から始めてみよか。このテントにおるっちゅう直接の体験から、今私を見てる時の君らの意識はどこにあるんや?
主に二つの理論があるんや。一つは、全部頭の中にあるっちゅう理論や。意識は脳にある。脳が作り出してる。頭の中にあるんや。せやから、君らが見てるもんは全部脳の中にあるっちゅうことになる。君らの脳の中に私がおって、このテント全体がバーチャルリアリティのディスプレイみたいなもんとして入ってるっちゅうわけや。神経科学者のアン・セスが言うところの「制御された幻覚」が脳の中で起こってるっちゅうことやな。
もう一つの見方は、私らがもんを見る時、その見てるイメージは実際にそれがあるように見える場所に投影されてるっちゅうことや。せやから、私のイメージは君らの脳の中やなくて、私が実際に立ってるここにあるっちゅうことや。せやから、それは君らの心の中にあるけど、頭の中やないっちゅうことやな。
意識の在り処に関する多様な見解
ここに集まってるような普通の人たちでも、この件については驚くほど意見が分かれるんや。今まで一度もやったことないんやけど、めっちゃ興味あるんで聞いてみたいんや。自分の心が頭の中にあると思ってる人はどれくらいおる?
ああ、だいたい3分の1くらいやな。自分の周りに広がってると思ってる人はどれくらいおる?もうちょっと多いみたいやな。面白いやん。ほら、この議論があって、この部屋の中でも意見がバラバラやん。
心が脳の中にあると考える主な理由は、それが世界観全体の結果やからなんや。それは普通、唯物論とか物理主義って呼ばれてる。物理主義の世界観では、宇宙全体が物質とか、エネルギーや場みたいな物理的プロセスでできてて、それは完全に無意識やっちゅうことになってる。
物理学を勉強したり宇宙論の教科書を見ても、量子力学の観測者のことは別として、意識について書いてることはほとんどないんや。単純に物理学の一部やないんや。せやから、宇宙全体が無意識やと考えられてる。
そんで、地球上で複雑な脳の中で意識が現れて、他の惑星におる小さな緑の人とか人間みたいな存在を除けば、無意識の宇宙の中に存在してるっちゅうことになる。私らは無意識の宇宙、無意識の自然の中で、意識は頭の中だけに閉じ込められて生きてるっちゅうわけや。
ハード・プロブレムとパンサイキズムの台頭
これが公式の見解なんや。これは「ハード・プロブレム」って呼ばれる問題につながるんや。宇宙全体が無意識の物質でできてるんやったら、なんで私らが意識を持ってるんや?全部が無意識やったら、私らも意識を持ってないはずやのに。
哲学者の中には、脳が物理的にいろんなことをして、意識は副現象やって言う人もおる。意識は何もせえへんっちゅうわけや。他の人は、意識は脳が作り出す錯覚やって言う。でも批判する人らは、それじゃあ本当の答えになってないって指摘するんや。錯覚も意識の一つの形やからな。せやから、意識を意識で説明してるだけやん。それがハード・プロブレムって呼ばれる理由やな。
最近まで、心の哲学でこの問題についてはほとんど進歩がなかったんや。でも最近、パンサイキズムが発達してきた。パンサイキズムは心の哲学の中で驚くほど流行ってるんや。私らがみんな卒業したはずの古代のアニミズム的世界観にめっちゃ似てるのにな。
パンサイキズムは最初はガレン・ストローソンが提唱して、フィリップ・ゴフみたいな人らが発展させたんや。ゴフはここのフェスティバルでも話したことがある。ハード・プロブレムを解決するためやったんや。
彼らが言うのは、電子や原子の中にちょっとした意識があって、分子になるともうちょっと多くなって、細胞、組織、器官になるともっと多くなって、脳になる頃には程度の違いになってるっちゅうことや。脳でもっと意識が現れるけど、完全に無意識の宇宙から全く新しいもんが現れるんやなくて、程度の違いやっちゅうことや。
宇宙規模の意識への拡張
脳まで来た時、普通はパンサイキズムの哲学者らは満足そうな顔をして座り込むんや。ハード・プロブレムを解決したからな。でも、なんで脳で止めるんや?結局、パンサイキズムは「どこにでも心がある」っちゅう意味やろ。宇宙は脳や地球よりもずっと大きいんや。
私自身は、パンサイキズムが正しいか、少なくとも理にかなった観点やと思うんやけど、そうやったら大きな自己組織化システムでも小さなシステムでも、太陽も含めて意識があるって期待できるんちゃうかと思うんや。
数年前に「意識研究雑誌」に「太陽は意識を持っているか」っちゅう論文を書いたんや。太陽が意識を持ってる可能性があるって議論したんや。太陽の心と体のインターフェースは、常に変化してる電磁場かもしれん。太陽はめっちゃ複雑な電磁場とリズムを持ってて、それは常に変化してるんや。私らの脳もそうやし、ほとんどの人は心と体のインターフェースは脳の電磁活動を通してやと思ってる。
それは太陽にも当てはまると思うんや。太陽は何をするか決められると思う。いつ太陽フレアを放出するか、それを地球に向けて送って、私らの歴史の特定の時期に電力システムをダウンさせるかどうかとかな。太陽は地球にめっちゃ影響を与えてるから、NASAが宇宙天気予報を発表してるんや。それは全部太陽フレアやコロナ質量放出に関係してる。
オーロラにも影響するんや。最近はロンドンまで南で見えるようになった。今太陽活動がめっちゃ活発やからな。詳細に興味があったら、私のウェブサイトの研究セクションの意識のところに論文があるから見てや。オープンアクセスになってる。
銀河系と宇宙全体の意識
太陽が意識を持ってるんやったら、他の星はどうや?他の星が意識を持ってるんやったら、銀河系全体はどうや?銀河系は超有機体みたいなもんで、星や太陽系は銀河の体の中の細胞みたいなもんや。銀河の心があるかもしれん。
そうなったら面白くなるで。銀河の思考の速度はどれくらいやろか?光が銀河の一方から反対側まで移動するのに10万年かかるんや。銀河系は10万光年の幅があるんや。もし思考が光速や電磁気の速度でしか動かんかったら、めっちゃゆっくり考えてることになるな。でも、銀河の思考の速度については誰も何も知らん。
これは宇宙論や物理学の一部にはまだなってない。そこはまだ意識フリーゾーンやからな。物理学者や宇宙論者がこういうことを真剣に考えるようになったら、新しい洞察が生まれるかもしれん。宇宙論は今行き詰まってるんや。意識みたいな重要なもんを除外してるからちゃうかと思うんや。
宇宙的ネットワークと世界魂
もちろん、宇宙にはたくさんの銀河があって、それらはプラズマの糸で結ばれてるんや。宇宙ネットワークって呼ばれてる。そこを通って巨大な電流と磁力線が流れてる。せやから、宇宙全体が脳みたいに結ばれてるんや。銀河は、この巨大な脳みたいなシステムのニューロンみたいなもんや。たぶん宇宙全体が意識を持ってるんちゃうか。
これは新しいアイデアやない。古代の人らは世界魂を信じてた。宇宙の心、魂。プラトンや他の哲学者らは当たり前やと思ってたんや。せやから、私らは完全に意識のある宇宙におるかもしれん。
でも、脳を超えた意識についてのアイデアを追求していくと、すべての宗教的伝統や霊的伝統で、人間のレベルを超えた多くの意識の形があるっちゅうことが歴史を通じて当たり前やと思われてきたことに気づくんや。
霊、先祖、聖人、神々、女神、天使、そしてその全ての背後にある究極の意識や。ちなみに、来週の日曜日、明日やなくて一週間後の日曜日はミカエル祭、聖ミカエルと全ての天使の祭日や。私の好きな祭日の一つなんや。世界中の大聖堂で素晴らしい合唱団が天使を讃える素晴らしい音楽を歌う祭日やからな。
天使と星々の意識
ほとんどの人は天使がどんなもんかぼんやりとしかわからんけど、私が思うに、天使っちゅうのは人間のレベルを超えた意識、宇宙全体を含む意識っちゅうアイデアを枠づけする、私らの伝統的な文化的方法やと思うんや。
古代の人らは星や惑星が生きてて意識を持ってると信じてた。プラトンは星や惑星を「見える神々」って呼んだんや。それぞれが自分の心と意識を持ってるって。中世の神学者らは、その導きの知性を天使やと考えた。各星にはそれぞれの天使がついてたんや。
せやから、天使らはステンドグラスの窓に住んでる羽のついた存在やなかったんや。これらは宇宙の力、意識の形やったんや。そして全ての宗教で、天使や聖人やその他の低い形の霊を超えた究極の意識の源があるっちゅうことが当たり前やと思われてる。
ヒンドゥー教の意識観と神秘体験
ヒンドゥー教の世界観では、その究極の意識、ブラフマンやサッチダーナンダ(存在・意識・至福)が宇宙のすべての意識の形に反映されてるんや。ヒンドゥー教徒がよく使う馴染みのあるイメージは、夜に屋外に置かれた水の入ったバケツやな。何百ものバケツがあって、それぞれに月が映ってるのが見える。まるで各バケツに自分の月があるみたいに見えるけど、実際は月は一つだけで、それがすべてのバケツに映ってるだけや。
彼らが主張するのは、私らの意識的な心は、宇宙全体の根底にある究極の意識的な心の反映であり、それに参加してるっちゅうことや。これは多くの人が神秘体験を通して直接体験することや。
神秘体験は、ある人には自然に起こるし、霊的な実践、瞑想、自然の中にいること、驚くかもしれんけどスポーツへの集中的な関わり(人を完全に現在に引き込む)、時にはサイケデリックスを通して起こる。多くの人が、自分よりもはるかに大きな意識の一部である体験をしたことがあるんや。それを神とかブラフマンとか何でも呼ぶかもしれんけど。
でも、すべての意識ある存在が一部である人間のレベルを超えた意識っちゅうアイデアは、すべての宗教でめっちゃ伝統的なアイデアなんや。キリスト教では三位一体で、その究極の意識の本質のモデルを与えてくれる。ヒンドゥー教のサッチダーナンダモデルと同じようにな。
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